茅ヶ崎


土曜日。上野東京ライン茅ヶ崎まで。茅ヶ崎市美術館で青山義雄展を観た。おお、これは…という確かな感触。盛り立てられるような、絵画的運動感のたいへん良質なものに満ちていて、絵を描くことの身体の奥から煽りたてられるようなものをひたすら感じさせられた。一見、きわめて紋切り型というか凡庸っぽいというか、如何にもな慰安型の絵画に見えてしまうので、最初のインパクト的には半信半疑なのだが、少し近づいて見れば、画面の各所で行われている大小の躍動のめまぐるしさと複雑さが半端ではなく、おお、これだと思わずにはいられないような、目まぐるしさとやんちゃな忙しさが、事後的にその空間を成り立たせていて、色彩もとくに50〜60年代の青紫から赤へ至る過程におけるカーマイン系のピーキーな使用が特徴的であり、個人的にはその時代を中心とした海沿いとか浜辺を描いたものには、強く惹かれた。また後期のルノワールの庭ニ作とか、花瓶に生けた花のシリーズも。


美術館を出てから、海の方角へ歩いた。茅ヶ崎公園野球場の階段を上ると、観客席がすり鉢状に囲っている底辺に、どことなくこじんまりとしたグラウンドが収まっているのを見下ろせる。客席の中腹にいる自分の位置からは、急勾配の上から下へ座席が斜めに連なっていて、野球場というのは面白い形をしているものだと思う。芝生の鮮やかな緑色に、整然と引かれた白線。外野の奥に立つくすんだ色合いながら稼動するまでの時間を静かに待機しているかのようなスコアボード。ここで人間が、いったい何を、何のために行おうとするのか、またそれを、このような急勾配の上から下まで、ぎっしりと人が連なって、一同でそれらを見下ろしているだなんて、それはどういう儀式なのか。劇場というか闘技場というか、その不思議さ。その虚構を、全員が信じていること自体の不思議さ危うさが、裏から透かして浮き出ているかのようだ。


さらに歩くと、その先は海。まともに立っていられないほどの強風。荒い波の向こうを、ウィンドサーフィンの帆が小さくおもちゃのように移動していく。滑空するトンビが、横へ横へ流されようとするのを必死に耐えながら、それでもものすごいスピードで横流しに流れていった。しっかりと固定したはずの両羽根の先端が風に煽られてぶるぶると小刻みに震えていた。


しかし、なんだか、すごい高級住宅街なんだな…。


開高健記念館にも立ち寄った。まさに、昭和の作家の、住居なんだなあ、と思った。僕が小・中学生くらいの時代までの、そういう人の、家と仕事部屋だなあ、と。


上野で酒。…最近日本酒が流行ってるのか、お店もずいぶん増えて、毎週日本酒ばかり飲んでいるが、どんなに辛口だの端麗だの言っても、さすがにニ時間も飲み続けると、どうしても単調になって飽きてきてしまう。じっくり食事ということならワインの方が、やっぱりいいかなとも思う。


本日は、図書館で本を返して、いつもの喫茶店でコーヒー飲んで、一か八かだと言って上野のカラヴァッジョの様子を見に行って、ずらーっと並んでいるので、ああ、やっぱり…。もういいや!ヤケ酒だ、となって、ずいぶん早い時間からまた日本酒を…。


明日からは…そうだった、大人の仕事をしなければ…。