"The Solid Time Of Change" And "Total Mass Retain"


いい加減にクドイが、イエスの「Close To The Edge」は、いまだにくりかえし聴き続けていて、とくに第一楽章「着実な変革」第二楽章「全体保持」をひたすら聴き続けていて、何十回も何百回も重ねて繰りかえして、新鮮とか飽きるとか、そういう部分はとっくに突き破れてしまっていて、もう聴いても聴いても、このままでは、もう、この気持ちはどうしようもない、という地点にまで来つつあるので、仕方がないので、二十年ぶりにギターを練習しようか、この曲のギターの部分は、その通りに弾けるようになるまで、がんばってみようかと思い立ち、昔のギターを修理するとか楽譜を買うとか、いろいろ検討し始めて、その過程でふとyoutubeで、イエスの「Close To The Edge」で検索したら、案の定、ある…。どこかのアマチュア野郎が、それをギターで弾いてる映像があったのだ。



で、これを聴いて、いっぺんで心が萎えた…。要するに、結局こうなるのだと思ったら、百年の恋も醒めた。誤解のないように付け加えるが、上記の演奏は、素晴らしく見事である。しっかりとした練習の成果だ。所々もたつきながらも、ほぼ完璧だ。いや、ところどころ、それじゃダメでしょ!と言いたいところも多々ある。一番肝心な部分が、そんなにあっさり行っちゃったら意味ないでしょ、みたいな。いやいやいや、でもここまで出来たら、充分だ。本当にそう。というか、僕はおそらく、どんなにがんばってもこのレベルの半分にも来れないと思う。じっさいに見てると、あまりにも難しすぎるし、凄すぎる。


でも、いや、だからこそ、これを見て、いっぺんに醒めた。どんなに凄くても、結局こうなると思うと、一挙に退却したくなる。なんだろう、このつまらなさ。練習した成果というものの、恐ろしいほどの無味乾燥さ。ああ、楽器って「上手く弾ける」だけなら、まったく弾けない方が、はるかにマシなものなのではないだろうか、と思う。「上手く弾けてる」時点で、ひたすら恥を垂れ流しているようなものではないか。こんなブザマなことがあるだろうか。イエスの「Close To The Edge」によく似ている、ということが、これほどまでに恥ずべき何かになるというのは、まったくこれは、酒の酔いも醒めるというか、これって、なんにでも当てはまるからこわい。で、これを本気でこわがりだすと、一切のことが何もできなくなるので、さらにこわい。でも、いつも、まあいいか、となって、まあ大丈夫。でも嫌な気分になった。なんとなく聴きたくなくなってきた。でもたぶん、まだもう少しは聴くだろう。