食べ方


「ムーンライト」で、久々に再開した友人の作った料理を主人公がご馳走になるシーンでの、あのスプーンの持ち方、肘の張り方、座った姿勢、如何にもアメリカ人の飯の食い方に見えるが、なんで、あんな風にスプーンを持たなければいけないのか。子供か。いったい何が変容して、ああいう食い方の仕草になっていくのか。あんな食べ方で、かえって食べにくくないのか。背中を丸めて、口元を皿に近付けて、スプーンやフォークで口の中に押し込むみたいな。


自分もやはり、なんらかの仕草というか、なんらかのコードに沿った動きで食べ物を口に運んでいるのだろうとは思うが。


映画を観ていて、ごはん食べてるところが出てくると、どんなシーンでもつい凝視してしまう。すごく「国」というか、文化的な違いを感じる。


韓国人とか台湾人の、麺類の食べ方。東南アジア系の人たちの、ものを食べているところ。だらんと斜めに座って、丼に顔を突っ込むみたいにして、箸を上下させてひたすら食ってる。


麺類なら、日本人もそうだ。ラーメン食うシーンも、酒を飲むシーンも、普通に食事もそうだ。座敷で座布団に座って飲み食いするから、どうしても身体がぐにゃりと曲がっている。その姿勢で食う。背中が丸く、上半身は必ず前屈みになる。西洋料理のテーブルマナーみたいに強烈にディシプリンしない限りは、人間の食事が本来、必ずそういう身体的な動作になる。肉食動物が捕食している姿。頭を地面に近づけて、咀嚼、嚥下する顎の動き、首から胸が扇動する。そうか、動物の場合は、獲物が地面にあって、腹は中空にあるから、下から上に収めないといけないのか。


日本の戦前とか昭和三十年くらいまでの、奉公してる女中とか置屋の女とかが、土間で正座してお茶碗を持ってちゃっちゃっとかき込むような食べ方。坊さんとかが床上の膳をもちあげて、口元へはこぶような仕草。


あれはなんだか、懐かしいような、ある種の堅苦しさがやや精神的に安心できるような、その安心っていうのが何なのかが、謎だけれども、昔の日本も食事作法は煩かったはずで、黙って、俯いて、黙々と食べる、ほとんど苦行みたいな、儀式みたいなものだったはずで、それの何が、安心だというのか。


それは中国とかアジア地域でもやはりそういう文化はあるのだろうか。西洋なら神様に感謝して食べるのだろうが、日本ではただ自分をむなしくして、ただの小さな存在として、何にも思いを馳せずに、ただ、虫や動物が食べるが如く食べているような感じもする。