若い女


狭くて古い家だった。僕が二十代の頃だ。目の前の女は、若くて、美人で、僕に親しげだった。濃い緑色のぴったりとしたニットを着ていて、その色と上半身の形が部屋の暗さに半分以上溶け込むようだった。


僕と彼女のほかには、誰もいなかった。もう充分に、お互いをよく知っている間柄のようだ。二人で話をしている。でも僕は、その女をはじめて見る。知らない相手なのに、関係としては親しいのだ。夢だから、そういう場面から始まることもある。やり取りで自分の話す口ぶりや思い、そのときの気分的なものは、完全に昔の自分の記憶にある要素から出来上がっている。だから異様に現実的だし、ただ甘美で、懐かしい。そういう夢は、たまにある。


ばたばたと物音がして、玄関から二人の男が入ってきた。相手があわてて、その二人に自分を紹介する。こちらも精一杯愛想よく挨拶する。男二人は不思議そうな顔で、無言でこちらに会釈する。思い出した。彼らとは前に一度会ってる。そのときちゃんと一度、挨拶しているはずだ。でもさすがに、今日唐突に家にいるとは思わなかったのだろう。それは、すいませんでした。問題はそこだな。相手は、表面上はこちらを歓迎してくれているようだ。でも女には、こういうのは事前にちゃんと話しておけよ、とやや怒った口調で言う。


でも、あの二人の片方は、妻の兄だった。という事は将来、僕の義理の兄になる人じゃないか。でも、だとしたらつまり、この女は、妻か?これは、そういう夢なのか?でも、どうも違うような気がするのだが…。妻とは、顔が違うし、他にも、色々と違う気がするのだが、よくわからない。


でも、もしかすると、こういった最初の段階における経緯は、後で振り返ってみてもよくわからなくなってしまうことの方が、むしろ世間一般では普通なのかもしれない、それが当然なのかもしれない、とも思う。


とにかくまだ、交際が始まって間もないので、女は始終楽しそうだし、表情は和やかだ。何事も最初だけは、いつも、そういうものだ。ある事について予定を聞かれて、僕は、どっちでもいいよ、別に今日じゃなくてもいい、と答える。答えてから、ああ、この答え方こそが、まさに自分そのものだと思う。昔から今まで、いつもこういう言い方ばかりする。してきたなあ、と思う。


男と女が交際したなら、相手が頼りになる人であれば良いと、女は期待するはずだろう。しかし、男が、つまり自分が、そうではなかった場合、女はがっかりする、失望するだろう。あーあ、がっかりだな。しょうがないなあ。こんなもんか。目の前で、そんな風に思っている女の表情と態度を、自分が見ているとする。やれやれだな。もう、しょうがないなあ。…がっかりした感じと、あきらめと、ある種の納得とが、混ざり合ったときの、女の独特の、態度というか、雰囲気というものがある。


相手が自分に失望したときに見せる、ある種の独特な雰囲気。自分は、目の前でそれを見るのが好きである。受容されたからとか、そういうことではなく、たぶんそうではなくて、なんだか単に目の前の相手が、ふと軽妙に孤独な存在に見えるところが、好きなのだと思う。


何かの縁で出会った相手とこれからの時間を過ごそうとしている、さっき静かにその決意を固めた、孤独な、若い女だった。