君の名は


観始めて、しだいに状況というか、物語的仕組みがわかってきて、これは相当すごいかもと思い始める。男女の身体と心が互いに入れ替わるというだけなら、よくあるパターンだとしか思わないが、その男女が同じ時と場所を共有しないままで、となると俄然面白味が増す。この私と誰か、この場所と別の場所が、すれ違い合い交差し合う。物語とか登場人物への感情移入だとかそういうレベルではなく、もっと根本的な緊張感のなかに作品が投げ込まれている。時間も空間も共有しないという時点で、前提そのもの、心の支えにすべきもの自体が揺らいでうしなわれる予感とともに進むしかない。それにしても語り方というかシーンの並べ方が上手い。別々のことを見事な手腕で並走的に語っていく。


被災する村の祠のところで、お互いが入れ替わっていてさらに過去と現在も混線したような状況下で、ほぼ同じ時と場所を、ついに共有したかと思ったのに、お互いがお互いを見えない瞬間が生じたりして、このあたりの複雑さのきわまりきった辺りに差し掛かったときなど、たいへん素晴らしいと思った。あのまま存在する/しないの境界でずーっと二人の幽霊(一人は生きてるが、でもあそこまで行くとどっちもどっちだ。)が手探りし合うだけでもいいのにとか思ったが、後半は二人が頑張って活躍して入れ替わってリトライを試してと、そのあたりの異様な感じも面白いのだが、その結果お互いがお互いを忘れてしまい、それ自体がなかったことになる、しかしお互いの気持ちとしての、忘却への抗いの思いが、たたみかけるようにアツく展開する。後半以降、そういう終わり方かあ、、とも思ったが、まあ、それはそれでどちらでもいいこととも言える。タイムトラベル的でもあり、心身の交換もあって、分身的な要素もあって、失くすことへのかなしみ、感傷をひたすらうたうと、これは大林宣彦尾道三部作の要素が全部入ってるではないかとも思ったが、しかしこれまで存在したどの作品とも違う独自な質感を獲得できているとも思う。それは登場人物たちの体験そのものが二人の身体交換によって二重化されていることの、何か肝心だと思っていたことのすっぽり抜けてしまったような感覚、軽く呆然とするしかないような空虚さみたいなものが、一番中心の奥の部分にあって、それがあったことなかったことのたらればの世界とダブルで二重化されているからだろうか。共感ベースでもなければ設定の説明だけでもない、このたまたま、偶然でしかなかった不安さの感覚こそがこの作品の肝ではないか。


観たのは31日の木曜日の夜だったか。ちなみにはじめてネット配信をレンタルしてみた。返却しなくていいのはとりあえず楽だが、ちょっと観直したいと思っても二日経つと観れないのはつらい。まあしょうがないか。