溢れる水


駅のホームで、電車を降りようとする男と、乗ろうとする男が、ちょっと揉めて、そこから一気に揮発性の何かに引火して一気に炎が立ち上がるかのように、取っ組み合いというか、1人が猛烈な怒りに駆られて、もうまるで感情全開の、後先お構いなしの本気の拳を握りしめたパンチを相手の顔面に叩き込もうとして、その拳を相手が間一髪で避けて、そのまま2人もつれ合って地面に倒れ込み、さらに相手に掴みかかろうとするところを、通りがかりのおじさんが二人の間に入って止めた。


それで激怒していた男は、一瞬正気に戻って立ち上がり、轟然と相手を見て何事かの言葉を吐き捨てて、ものすごい大股で両腕をぶんぶん振って、まるでプロレスラーの退場みたいに全身で周囲を威嚇するかのような歩き方でその場を離れて、停車中の電車に乗り込んだ。


空いていた座席に浅く腰掛けて、まだ怒り収まらぬといった様子を全身から立ち昇る蒸気のように発散させて、何度も大きく息を吸って吐いて、時折手に持っているペットボトルのお茶の蓋を取って、勢いよく飲んでまた蓋を締める。その蓋に加えられる力が過度極まりなく、誰が見ても激怒している人の態度そのもので、その表現がお茶のペットボトルの軋む音であらわされているのがすごい。寒さに耐えるかのように全身小刻みに震わせつつ、呼吸が荒ぶらないようにひたすら自分を抑え付けている。コップにいっぱい入った水が、表面張力で、あと一滴で溢れる寸前の様子みたいなよくあるイメージを思い浮かべさせる。呼吸と心臓の鼓動が、ともに非同期となって、それぞれが遊びみたいに勝手なリズムを打ち鳴らしていて、性欲の高まりが臨界越えしてなすすべなく社会的に落伍する絶望と覚悟を決めた瞬間にも似た、自分の意志を離れた機械の動作をただ見ている、濁流に運ばれて流れていくものを見ながら、短い時間に内と外との落差から生じた堪え難いほど可笑しい笑いが、他人事のように後から付いてきそうなのをかすかに予感している。