記憶の音楽


ほんとうなら音楽は、今聴こえてくる音の一つ一つを、粒立ちがしっかりとした状態のままで、その鮮度で味わうのが、もっとも良い聴き方だと思う。しかしそのような聴き方をしようとしても、現実は一つ一つを完全に咀嚼することができないまま、ほぼ混沌に近いようなことになってしまう。だから、二度、三度と繰り返し聴くのだ。同じ音楽を、二度、三度と繰り返し聴くことで、一つ一つを確かめながら安心感と共に受け止められるし、それらが渾然としたまま一挙に押し寄せてくることの衝撃も、再体験によって正面から感じ取ることができる。ただし繰り返しも重ねすぎれば、当然悪い面も出てくる。まず記憶が堆積するので、聴こえてくる音楽をすでにあらかじめ知っている状態で聴く。しかも完璧に知っているわけではなく、所々がブロック状になった半端な大きさの記憶の羅列として知っているだけなので、それが今聴こえてくるそれに重なってしまって、何度聴いても、今聴こえてくるそれではなく、記憶領域にキャッシュされている同じ対象をひたすら呼び起こしているだけになりがちとなる。ある程度聴いたら、その音楽を一旦忘れてしまえたら、どんなにいいだろうか。