並走


デュラス「愛」を読むが…すげえ退屈だ…。ずっとこうなのか。こうだった。とはいえ、これはこれで、この退屈さがまた、これを退屈と思うかそうでもないと思うかは、日によって、時と場合によって違う。


小説作品に書かれた一定の時間の経過。それは一様なものではないが、分かりやすい差異にみちているわけでもなく、しかし何かある独特なニュアンス、色調、テンポをもつ。


読者である自分も自分自身の時間経過をもち、その過程で、あるときなぜか、全容不明な作品の、ほんの少しだけ見えている入口から入っていく。


したがってその体験は自分の時間経過の記憶を下地として、読んでいる作品の連続性が、そのつど再生されるような感じになる。読書は、自分の時間と書かれた世界の時間と、二つを並走させるような体験になる。


それはともかく、本日の「へたも絵のうち」

日暮里付近に、新しい下宿を決めて落ち着きました。ところが、肖像画の金などすぐなくなってしまいます。先に書いた斎藤豊作が、心配して「おまえ金あるのか」と聞きます。私は正直に「ない」と答えました。
すると「それじゃ、やろうか」というから、こちらは「くれ」です。斎藤は「なくなってからいちいちやるんじゃ、めんどうだ。月決めでやろうか」といいます。むろんこちらに異論はありません。これは、彼が再びパリに行くまで五、六年は続きました。