幽体離脱


古谷利裕【「幽体離脱の芸術論」への助走】(http://ekrits.jp/2018/03/2515/)を読む。ものすごく分かりやすくて、かつ面白い。グレアム・ハーマン「四方対象」の話は、一度齧っただけでは到底理解できないし分かった気になれないような複雑さ、奥深さを秘めているようで、しかしそこが強烈に魅惑的というか、恐ろしく魅力的な不安感、惹きつけられずにはいられない恐怖感のようなものさえ感じる。ヴィヴェイロス・デ・カストロ「食人の形而上学」も、凄まじいというか、ほとんど呆気にとられるような、マジか…とつぶやくより他ないような強烈な話である。ベルクソンとかライプニッツをはじめて齧ったときもそうだったと思うが、ちょっと齧っただけのそれがあまりにも強烈なので、そのあと何を考えるにもついさっき知ったばかりの概念と結び付けて考えてしまいたくなるような、哲学とかの今までの常識を平然と踏み越えてしまうような言説にいきなりかぶれてしまって、われながら典型的ニワカな、よくある系の態度だとは重々承知ではあるが、まさにそういう感じに囚われて避けようもなくわけもわからず子供のような興奮状態に陥ってしまう感じである。各論の繋がり方は鮮やかで、フリード「客体性」からハーマン「対象」が繋がれて、全体性としての「地」=唯一のパースペクティブを打破する文学作品における「逆遠近法的切り返し」(山城むつみ)へ至り、さらに「見る-見られる→食う?食われる」「食人の形而上学」(ヴィヴェイロス・デ・カストロ)へと。「わたし」と「他者」の交換可能性から「世界視線/逆世界視線」における視点の変更、上向きと下向き→仰向けとうつ伏せ、寝返りによる「幽体離脱」へ、と。しかし古谷さんは「裏と表が引っくり返る」というのがつくづく好きなのだなと思う。


関係ない話だとは思うが、先日亡くなった父も最期は寝返りによる「幽体離脱」をしたのかもしれないな、などと思った。いつものように訪問看護師の方がベッドの上に仰向けに寝ている父を横向きにさせて、臀部の褥瘡治療を行っているさなかに、父は意識を失ったのであった。身体は上向きから横向きへ、そのとき「パラリと離れ」て「ひらき」になった、のではないか…などと想像してしまった。