舞姫


森鴎外舞姫」を読む。まさにロマン小説、悲劇ここにあり…といった感じ。日本の明治時代の小説であるから、日本人とドイツ人がドイツ語でやり取りしていたであろう対話も、当然のことながら日本の書き言葉の当時における優雅な文体に変換されているわけだが、たとえば仮に豊太郎とエリスやその家族との対話がすべてドイツ語で書かれていて、豊太郎と相沢ら日本人との対話のみ日本語で書かれていたら、それは、僕には読めないものになる。もっともこの作品の雅文調の文体でも、ところどころ意味を取りづらいし、注釈も参照するし、少なくとも今の言葉と同じようなスピードと理解度で読解することはできない。ことに日本では明治以前と以降ならびに戦後において大きな書き言葉の制度変更が生じたというのは水村美苗の著作でも詳細に語られていたが、同じ日本語のはずなのに年月を経ることで次第に言葉がわからなくなっていくという事実には、今更ながら驚くし、日本だととくに百何十年前でかなり読みづらいし、旧仮名遣いだってそうだ。もちろん公用語が変わってしまう国家もあるし、英語を積極的に使う、あるいは使わざるを得ない国家もある。書き言葉の使用条件はそれだけ揺らぎのはげしいもので、それは作品を受け取る際の条件の揺らぎでもある。「舞姫」は1890年(明治23年)の作品で、その年号だけ聞くと僕などはなんとなく竹橋の近代美術館の常設フロアを思い浮かべてしまうのだが、ちょうどその頃にフランスで洋画を学んだのが黒田清輝である。森鴎外黒田清輝、人物として後に明治政府から立派な肩書きをもらうところは似ているが、作品に何ら関連性もない。むしろ同世代なのに、近代絵画と近代小説ではこうも違ったか、との思いを持つ。黒田は欧州を移入することに心血を注いだだろうし、森は自らの母国語を欧州フォーマット上で動作させるための変換作業に心血を注いだのだと言えるだろうか。