できごと


きょうのできごと」「きょうのできごとの、つづきのできごと」とつづけて読んで、著者の、登場人物たちとその世界への愛というか、あの京都の夜、前後のだらだらと続く日々をいつまでも終わらせたくなくて、ただひたすらこの人たちとの時間を長引かせていつくしみたいと思っているのが、伝わってくる感じがする。書き続けているかぎりは、彼らの世界がまだ消えないという。


各章ごとに語る主体の人物が入れ替わるが、意外に男の話である。中西、かわち、正道、西山や坂本たちの、男友達の小説としても読める。男っていうのはこうじゃねーよとか言いそうな人もいるけど、いやいや、こうだよというか、たぶんこの人たちがいたんだよ実際、と言いたくなる。


「B面」で映画撮影の現場を見学している原作者(作者)が登場人物として出てくるところが「公園に行かないか? 火曜日に」の感触に似ているが、その物語の終わりの頃にふと姿をあらわすのがけいとで、けいとは今そこで撮影している映画の登場人物が、元々はけいと自身であることを知らないだろうし、目の前の相手がその映画の原作者だということは知っているが、その人が小説の登場人物として、はじめて自分を生み出した、ということは知らない。


それ以前に、そんなことはありえない?…いや、ありえる。この世界に「フィクションの子」でない人間がいるだろうか?けいとは十年後に、映画の配給会社で働いている。それはこの撮影現場で知り合ったスタッフと、その後もメールなどでやり取りを続けているうちにできた縁を辿ったと「きょうのできごと十年後」に書かれている。フィクションだから実在しない人と思うのは間違っている。フィクションの登場人物も確実に実在している、いやフィクションの登場人物だからこそ実在する、そう思って読んで良いとおもった。