ふるさと

柄谷行人坂口安吾論」を読んだ。

仏教をはじめて美学的な視点で見出したのは岡倉天心だった。岡倉晩年の講義を聴講したこともある和辻哲郎の「古寺巡礼」においては、日本の「古寺」は「美的」なものとして捉えられている。

タウトが発見した「日本の伝統の美」に対する安吾「日本文化私論」での批判「我々は元々日本人だからわざわざ日本を再発見する必要はない」というのは、タウトの認識に、あらかじめそのような視点「カラクリ」が必要とされていることを指した指摘でもある。外国人にはわからぬ日本固有の美的まなざしとか、そういう意味ではない。外国人はおろか近代以降の日本人にまで、いつの間にか内面化されている「美的」なものをとらえている。かりに法隆寺桂離宮を壊して駐車場を作ったとしても、それで消失してしまうような何か(あらかじめ期待される視線の対象)さえ、じつは元々無いし、その必要もないということになる。(とはいえ必要なものだけで構成された殺風景で何の見るべき要素もない建築物--たとえば小菅の刑務所--を「うつくしい」と感じてしまう安吾の視線もそこには織り込まれていて、そこに図らずも安吾バウハウス的建築思考との近似値が示されてもいる。)

余計な夾雑物をはぎ取って、あらゆるカラクリを排したところに安吾の云う「ふるさと」がある。必要だけを選び、合理を徹底し、合理性そのものになること。しかしその合理徹底性をめざす情熱の元になる力は非合理的なものだ。安吾キリシタン禁制時代に海を越えて宣教に来ては拷問され殉教していく宣教師たちに向ける視点。その力の源を探ろうとする営み。あるいは死者を無感動にただ見ているだけの視点、まるで繰り返し打ち寄せる波を見ているような。その無償性というか、非合理性というか、空しさ、その透明な切なさだ。それは決して、心地のよいものではなく、むしろ不快なものだ。「美」が量的判定で構想的にもたらされる快であるのに対して、不快な対象が理性によって捉え直されもたらされる快が「崇高」である、というのが、カントにおける美と崇高の問題で、安吾における「我々をつきはなすようなふるさと」とは、崇高であり、物自体のことでもあるだろうし、柄谷行人が云う「外部」のことでもあるだろうと。