むかし、カーター大統領が来日して昭和天皇と対面した場面をニュースを見たことがあったのを、ふいに思い出した。あのとき自分は、天皇陛下という存在をはじめて意識した。それは子供の目から見ても相当にヨボヨボの老人で、少し背の曲がった、白髪に丸眼鏡の、口元から喉元にかけて、まるで垂れ下がった布のような皮膚の弛みと皺を見て、これではおそらく、何を言っても聞こえないだろうし、まともな反応も返ってこないだろうと思うような、あそこにじっと立っているのがせいいっぱいの、まごうこと無き高齢者そのものに見えた。あの老人が、日本における重要なシンボル的存在であり、当人の意志を問わずはじめから選ばれた人間であったことの不思議を感じた。思えばアメリカ大統領で僕が一番最初に記憶したのはカーターで、その次がレーガンで、次がブッシュで、次がクリントンで、次がブッシュ息子で、次がオバマで、次がトランプ。これだけで、四十年近く経っている。カーターが来日した当時、たしか日本の総理大臣は大平正芳だったような気がするのだが、その後、誰もが知るように総理大臣はめまぐるしく交代して、そのたびにニュースで報じられる。死んだ人、生きてる人、くりかえされるテレビ報道と、くりかえされる家庭料理の食卓の風景があり、今日の料理、今晩のおかず、自宅にある簡単ウチごはんも、気付けばすでに二十年前に出版されたムック本のレシピだ。ふだんの家庭料理ならば、食べやすい、口に運びやすい大きさを考慮しないまま料理が作られることもあるり、その手間暇の掛けなさと時間の節約が、かえって料理そのものの素朴な側面をより強調する結果に結びつきもする。食べにくさが近づきがたさになり、終わりへ向かう流れの遅延と迂回になって、なかば無理やり口に運び込んで、それがどんな味わいであれ、それはそれとして食べる。それはそれとして食べて、くりかえされてきたこれまでの食事の一環に今を加える。これこそが家での食事だ。