hibari

坂本龍一「アウト・オブ・ノイズ」(2009年)収録の"hibari"のうつくしさに、まるでウィルス感染したかのように、今日もまだこころを奪われたままだ。

90年代の坂本。たとえば「ハートビート」(1991年)「スウィート・リヴェンジ」(1994年)の、今となっては、信じがたく享楽的な感じ。しかし僕が二十代の頃の、これこそが坂本龍一だった。今聴いても驚くべきことにほぼ古臭さはなく、かなりカッコいいハウスでありアシッドジャズではあるのだが(それは当時のそれ系ジャンル全体の完成度や充実の度合によるものでもあるが)、ライブ盤の「スウィート・リヴェンジツアー1994」など聴くと、超高品質でありながらも、どこかバブルの残滓というか、鮨屋に同伴でやってくるおじさんの車から聴こえてくるような匂いも漂うような。しかしそれはそれで良いのだ。(ちなみに00年代以降の菊地成孔は、90年代坂本龍一を見事に回収=改修したという感じが個人的にはする。)

しかし「キャズム」(2004年)を当時、ちゃんと聴いておくべきだった。今聴くとこれは素晴らしい。そして2009年の「アウト・オブ・ノイズ」をもし当時の自分が聴いたとしたら、そのときどう思ったかはわからない。ダブテクノやデトロイトテクノばかり聴いてた時代だから、似て非なるこの音には触手が動かなかった可能性はある。

しかし"hibari"なら、きっとわかっただろう。ならば当時から聴けばよかった。聴くべきだった。音楽家が亡くなった後はじめて知るには、このような自分の文章をもって玩弄するには、この曲はあまりにも可憐すぎた。