YOU

NHKのテレビ番組「YOU」より
誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座(NHK放送日:1982/6/12)
誰でもミュージシャンパートII YMOの音楽講座(NHK放送日:1983/6/11)
を観た。(CS歌謡ポップスチャンネル)

1982年、坂本龍一は30歳前後だ。「CODA」で喋っていることと、40年前に放送された本番組の講座で坂本龍一が目指すものは、ほとんど相違がない。そういう一貫性を感じる。やっぱり最初からそういう人なんだな、と思う。

矢野顕子の「さっちゃん」はすでに完璧なレベルに達しきっていて息を吞む。

翌1983年の坂本龍一細野晴臣も、当時と今とでほとんど人物的な印象に変化が感じられない。高橋幸宏には、やや斜に構えた感じの若さはあるかも。

坂本龍一って、けっこう喋るし皮肉とかも言うのだろうし、YMO他メンバーの二人から「こいつうるせーなぁ」とか、思われたこともあったのではないか。もちろん僕の勝手な想像だが。

生まれてはじめてつくった曲をおぼえているかと坂本が問い、それに対して、中学の時ギターで英語詞の曲をつくった、全米ナンバーワンを目指した、と細野晴臣が返すと、「全米ナンバーワンって何?金?名誉?」とか言って坂本は笑うのだ。こういうところが坂本「教授」なのだな、と思う。おそらくもともと「教授」とは揶揄であり蔑称なのだ。たかがボンボン左翼のくせに…みたいな意味合いも、込められてるのではないか。もちろん細野が中学生の当時「全米ナンバーワンを目指す」というのは、金とか名誉とかとは全然別の意味であるだろう。

8インチくらいのフロッピーディスクを挿入するエミュレーターとかリン・ドラムとか、往年の名機がいっぱい出てくる。あと糸井重里の(まさにフレッシュな若手という風情の)印象、そして司会者役の上手さが、際立ってる。あの時代に特有な空気とか時間の流れから、糸井重里だけが浮いてるというか、より現代的というか、仮にいまのテレビ番組の司会だったとしても違和感ない感じがする。

「YOU」がテレビ放映されてたとき、僕は11歳とかである。当時のことは薄っすらとおぼえている。今回見たのは82年と83年に放映されたものだけど、82年当時にこの番組を見たときの、何か新しいことがはじまった感には、子供心にもけっこうインパクトをおぼえた。番組内で読まれる「お便り」の内容が、お堅いNHKでこんな番組が…的な内容であるのも頷ける。参加者の不特定多数の若者が、コメントを求められてその場で始まりも終わりもなく喋ってること自体の驚きがあった。しかも82年と83年では、すでに番組の何かが変わってしまったような印象も当時の時点でおぼえた。

82年の番組内では、途中で「休憩」があり、いったん進行が止まって、皆でダラダラするみたいな感じが仕込まれていて、こういうのも当時は斬新だった気がする。ぐるっとカメラがパンしてスタジオ内を映し出すこと自体すごかったのかも。

坂本龍一によるエンディングテーマ曲は、これこそが一日の終わりにともなう感傷と明日への根拠なき期待をまぜこぜにしたような、たかが小学生の心を曰く言い難いものでいっぱいにさせてしまう、そんな旋律にほかならなかった。