「放浪記」


放浪記 [DVD]


高峰秀子林芙美子を演じる。背中を丸めた恐ろしくだらしない姿勢のまま、両の眉毛はハの字で真っ白に白粉を塗って、口をひん曲げて舌をべろっと出す。ほとんど喜劇役者の様相である。カフェの女給で大騒ぎするシーンが度々出てくるが、これも渾身の芝居で、ものすごい。前半ものすごくサイレント映画的なシャカシャカした忙しないシークエンスが続いて、そういうのも含めて昔の映画の芝居!という感じが濃厚だ。。…その分、他の映画で堪能できる高峰秀子の美しい顔立ちや仕草は、ここではぐっと少なめなのが少し寂しいのだが、途中、深刻に思い詰めながら墓場を独りで歩くシーンとか、宝田明と遂に別れるシーンなんかでは、本来の美しい顔が一瞬戻ってくるようで若干嬉しい。(しかしあの感情爆発シーンの泣き顔こそが美しいというのは驚きである)


この物語の終盤、社会的にも経済的にも成功した後の主人公が、多数尋ねてくる来訪者の用件を聞いて、寄付とか貧乏人救済とか文学同好会への援助だとかをことごとく追い返すよう伝える物語内エピソードはかなり有名だと思うが、ああこれが、日本人が「一事業を成し遂げる」というときの、ひとつの理想的な成功モデルなんだろうと実感した。デカイ家に住み、母親には贅沢な服を着せ、自分だけは昔と変わらず編集者をいっぱい別室に待たせつつひたすら仕事をしている。別に成功者だけが居座れる安全地帯に居る訳でもなく、ただただ自分の信じる事に邁進して、その結果がたまたま後からついてきたのよ、という事態の完全な具現化だ。で、あたしは今、それを幸せだとも不幸だとも思わないわ、という事。だから他者や弱者にも救済を施さないという事。そういうフェアネスを貫くという事だ。(しかし夫が居て、かつ、傍らには客人として昔と同じように加東大介が居るという事、それはおそらくハタから見ればこの上なく「幸福」な状況なのだろうけれど)まあそれが、嘘偽りの無い素の状態なのだろう。そのように終わるしかないのだろう。なにか、いささか複雑にも思うのであるが。…まあ、でも、まあ良いラストだと思う…。


ちなみに僕は、林芙美子の「放浪記」小説は未読である。松岡正剛のサイトで小説について書かれていて、結構な量の引用があるのだが、これを読む限りなかなか面白そうだと思った。機会があれば読むかも。


…あと、さらに余談だが「放浪記」は森光子主演で舞台がロングランしている事でも有名だが、僕は高校生のとき、高校の課外授業として(へんな高校だ)この舞台を観ているのであった。当時の話によれば、劇団側としても男子高校の学生が課外授業として芝居を観に来るというのは初めての経験だったらしく、マナー面等から若干不安に思っていたそうだ。しかし当日、我々高校生は舞台の幕が開くや否や、一気に芝居の世界に引き込まれ、息を呑み目を見張りつつ、終幕まで誰一人として物音も立てず鑑賞したのであり、その事に驚いた主催者側の森光子さんや関係者の皆様から、数日後、わが高校宛てに「真剣に鑑賞してくれてありがとう」といった旨のお手紙を頂戴したのであった(笑)…まあ、実際は寝ていたヤツも多かったろうし、ああいう話をマトモに鑑賞したヤツはほぼ居なかったと思われる。それが実態だ。あたりまえです高校生なんてそんなものです。