保坂和志05年芸大講義の音声ファイルを(今頃)聴く


保坂和志が2005年12月15日に「芸術の自由」と題して東京芸大で講義した内容の録音音声ファイルがローカルディスクに置いてあるのをたまたま発見した。2年前にダウンロードしただけで放置していたのだろう。今更のように繋がってたiPodに入れて、やっと今日、全編聴いた。


そういえば先月「疾走する帝王 マイルス・デイビス」というテレビ番組の中で喋ってる菊地成孔の喋り方が上手い!という事を書いたが、ものすごい断定・言い切り型の、複数の「要因」(生い立ちやらコンプレックスやら…)がぶつかり合って「これ」を生み出したんだ!というパターンを基本としたドラマティックな説明の仕方とか、白板に乱暴な筆跡でコードネームを書いていく素振りの決まり方とかを見て、「啓蒙するならこれくらいスタイリッシュに芝居がかってやると効果的だよなー」と思ったのだった。


しかし、今回聴いた保坂和志の質疑応答を含めると100分以上に及ぶ講義というのは、前述した菊地成孔的なテイストは微塵もないものであった。ある意味、どう考えても多分「啓蒙」には向かない感じである。とにかく全編「…えっとー」とか「…それでー」とかいう言葉が何度も出てきて、ばらばらな話題同士が「…えっとー」とか「…それでー」という言葉で繋がれている。あとはすごい微妙な、明らかに次は何を喋ろうか考えてるときの沈黙とか、そういうのに満ち溢れていて、もうその講義全体の「色合い」をこういう風にしたいとか、こういう「後味」を聴衆に印象付けて残させたいとか、そういう考えが全くない講義である事に驚いた。しかし、非常に内省的な人格がそうさせる慎ましくて神妙な…という訳でもなく、基本的にやる気がないけど嫌々喋っている、という訳でもなさそうである。話す声は声というだけの事だ。何かの感情を表していそうには無い。今日はずっと独りで喋らされるなんて思ってなかったんだというが、仮に知っていたらもっと計画的な順序で話す事が準備されたのだろうか?そんな事はないのでは?という感じもする。


とはいえ僕自身が小説家の講義とか講演とかについておそらくほとんど聴いた事も無く、よく知らないので、大体、こういうのはどのような講師でも、事前準備もそこそこで大体の思いつきを時間まで話す、というスタイルが一般的なのかもしれない。だからそこはまあ、良いのかも知れないが、それにしても語られる内容のサイズ感とかが異様にまちまちで、思いついて喋ってる、または何も思いつけない、あ!今あれ思い出したから話す、みたいな、そういうのをまったく隠す事なく話されるのがすごい。


しかし大体10分も聴いてると、何か薄ボンヤリと、この人の話にある何かが感じられるようになってくる気もする。只、じゃあ、そこを掴み所にしていれば後が全部わかり易くなるのか?と云ったらそうでもないようなのだ。…とにかく話が全て脱線で出来ている。クロソウスキーの話をする例えで、シャーペンの構造について話ているときなんか、シャーペンの構造について細かく話し過ぎていて、それでクロソウスキーに戻ったときも、シャーペンの細部についての印象だけが妙に浮き上がって記憶に残っていて、今の例えはシャーペンである必然性は多分ないよなーという事がすごい気になったりする。「ノートを取る」に関する話も面白かったけど、単に面白くて前後とのつながり感とかが希薄な事で、会場全体に微妙に不穏な感じが漂ってる気もする。要するに終了予定時間まで、時計を見ながら何か思いつくことをどんどん話してるだけなのではないか?とも思えるような、それでそれは半分くらいは、実際そうなのかもしれないのだが、何故だか全体がこれで良いのだという確信が込められているようでもある。


所々、笑いも起きてる。…しかし聴いててすごく強く感じられたのは、こういう人が一堂に会した場の形式で起こる「笑い」というのに、人はどれほど心を救われるか、という事だ。多分最初から最後まで「笑い」つつ、もっともらしい話ができれば、それは「最高の講義」って事にもなり兼ねない。途中保坂和志が「ここ笑うところだ」と云って学生たちが笑ったりもするのだが、そういう「本当はこうすべきところ」「大体こんな感じで事が運ぶべき」という強い磁場に、保坂和志の喋り方というのは全く無縁であるが、毛嫌いするでもなく適当にそういう目配せもしつつ、でもおおよそ無頓着という感じで、その感覚はすごいと思う。


…で、多分そういう感覚を保持するのに必要なのは単純に勇気とか自分の力を信じる自信だろう。正直、僕が仮に人前でこういう話をしなければならない瞬間があったら、絶対ああいう感じの雰囲気のままで話し続ける事は無理である。このあまりにもバラバラな全体の感じというのは、僕にはちょっと恐怖に近い感触すらおぼえる。というか、それって、僕が如何に「決まり事」に縛られているか?という事だと思う。…いやでも実際、人前で話すだけでも駄目なのに、ましてやあんなバラバラな話を滔滔とやるなんて、絶対無理。不安で気絶するだろう。「要するに何が云いたいんだ手前は!」とかヤジられたとき「うるせえ!」と云い返す勇気があるか?という事だろう?違うのか??