live @ Smartbar (Chicago/US) - Valentine's Love Affair


MoodymannとJerome Derradjiの6時間にもおよぶMIX音源を聴いていて、もちろん6時間ずっと聴いてるわけではなくて、ところどころ端折りながら聴いてるのであるが、しかしそれにしても、なんとまあ素敵な曲ばかりなのだろうと、あらためて驚く。ここでスピンされている音源の数々は、ほぼすべてが既存の、誰かの手によってリリースされ、無数の人々から消費され、年月を経て、未だ一部の人の記憶には、それなりに記憶の残滓として影を落としているであろうが、もはや大多数の人々からは忘れられ、メロディのさわりのところでかろうじて、かつてそんな曲もあったねという事の片鱗が一瞬だけ蘇るくらいの事で、そのレコードも、途端にジャケットの印刷が色褪せ、在庫をだぶつかせて、気づけばあっという間に二束三文で中古屋の安売り棚にまとめて積まれているいるような、完全に朽ち果てた過去の残骸でしかない。しかし、一旦Moodymannの手に掛かれば、そんな事がまるで嘘であるかのように、いまここで打ち鳴らされるサウンドの、なんという瑞々しさであろうか。なんというリズムのしなりであろうか。MoodymannのDJは、ダンクラというか、ソウルやディスコ以外も雑多に含んだ、もうほとんど過去総ざらえの懐メロクラシック大会そのものみたいな選曲の印象があるが、しかしそれを懐メロだと断定できるのは曲のラインナップの字面を眺めたときだけで、実際にその音を聴くと、それが懐メロであることが信じられない、というほどの音楽的鮮度が溢れださんばかりの状況となる。何かを生み出す、既にあるものを発見するということで、それだけで充分なんだ、という事をあらためて思い起こさせる。何かを生み出す、というのはとどのつまり、既にあるものの、それらの関係性や配置に関わる、そこに介入する、あるいはそれをそのままに留め置くために、それ以外の事を整理してあげる、という事なのだ。