談笑


私も五年前まではこのあたりのオフィスで働いていたんですよ。ほら、駅前にある、あのビルですよ。隣の電気屋はまだ無かった時代ですけれども、いまからそう、大体四五年前のことですね。と、相手が言うので、へえそうなんですか、じゃあ、きっとこのあたりのお店なんかもお詳しいでしょうね、と言ったら、はい、まあそうですね。大体このあたりはわかっていますね。…そういえば、さっき駅前を歩いてたら、号外を受取りましてね。ほら、鳩山さん辞任だそうですね。と言って、折りたたんだ新聞紙を広げて、僕の前に見せてくれたので、あー!へぇ…そうなんですかー。いやぁ、ついにですねぇ。と言って、号外配ってたんですか、どのあたりで配ってました?ああ、あのへんか、反対の方に行ってたんですよ、なんだー、もらいたかったなあ、号外。と言ったら、はい、ちょうど改札のあっち側ですね。ちなみに皆さんは、お子さんのいらっしゃる方は居られますか?と聞かれて、あ、そうですね、いまこちら側のメンバーでは…私はいませんし、この中では、Nだけですね。とこたえたら、あぁそうですか。まあ子供手当てねぇ。何かやったと言ったら鳩山さん。我々に恩恵があったのって、あれくらいですからねえ。あと高校の無償化とか、あれくらいですからねえ、と言うので、あぁはい。確かに。本当にそうですねえ、いも僕なんかはまさに、ほんとうに何にも関係ないっていうか、全然興味の範疇外という感じですねぇと言って笑ったら、相手もはぁ、なるほど。そうですねと曖昧に笑った。


じゃあそろそろ、午後の部を始めましょうか、という相手の言葉を皮切りに、午前中に引き続き、戦いの火蓋は切って落とされた。その後関係者間において深く記憶に刻まれることになるであろうおよそ六時間に及ぶ激戦が繰り広げられた。