イワシ


イワシ丸干しを焼いて、レモンを少しかけて食べたら、イワシの香りというのは、じつに素晴らしいと思った。こんなにおいしいものはない。誇り高く、香り高い。お料理の香りだ。今、海原のイワシはきっと、自分が海中を泳いでいるとき、その身体から湧き上がる香りや、脂質をたっぷりと含んでしなる筋肉の運動や、その粘りから滲みだすものが、陸上に住む生き物たちの、数百年にもおよぶ、料理の歴史と直接つながっていることなど、夢にも思わない。この塩気、この辛味、この苦味が、すべてのたくさんの、たんぱく質、脂肪、炭水化物や、植物性繊維や、遥か遠い国原産の各種スパイスや、樽に眠る酒類と結びついて、化学生成変化して、いつしか一皿の料理となって、そこからさらに、ありとあらゆる無限の地平へ広がり出すなどとは、きっと夢にも思うまい。お前の香り高さに較べたら、お前の命の価値に、いささかの重みもないということなど、想像もできまい。