こうやってダラダラ飲んでいるのが良いとはちっとも思ってない。ちょっと考え直した方がいいのではないか。ワインももっと、買うものにメリハリをつけた方がいいというか、すごく安いものか、すごく高いもの、という風に、極端に分けて飲んだほうが良い気がしてきた。今みたいに、なんとなく、高くも安くもないような、色々と、星の数ほどある銘柄を次から次へと、みたいな感じは、それはそれで、まあ楽しいといえば楽しいけど、でもこのままだとなんだか、如何にも単なる消費っぽいというか、いやそれでもいいけど、でも全く果てが無いなかで、細かい差異だけをごちゃごちゃ言うだけに陥りそうというか、なんかもっと、ほんとうはこうじゃないのではないかという思いが大きくなってくる。もっと庶民らしくないとダメなのではないか。いや、今がまさに、日本の庶民らしい、まったく節操のない感じなのだけど、いわばもっと、安くて質の悪いワインも普段からいっぱい飲んで、でもそうでもないワインをたまに飲むと、それが何だか説明できないような、すごいおいしい、というか、狼狽。みたいな、あるいは、高価なワインでも気付いたらぱーっと飲み干しちゃってたみたいな、色々細かいこと云うのではなく、本来ワインて、昔から、人々から、そういう風に飲まれている、そういうものなのではないかと思うが、どうか。酒も食事もそうだが、去年あたりからすごく贅沢をしたいという気持ちは強くなってきているが、それは尽きるところ、すごくちゃんと贅沢な粗食に辿りつきたい。という事なのだと思う、ということを今、思い出した。つまりすごくおいしい。しかしそれっきり、ほんの、それだけなのだ。暖かかったロウソクの炎が、名残惜しげに消えてしまう、消えてしまったような、そういう味わい。そういう食事。