テレキャスター

 テレキャスターのどこが最も型破りだったかと言えば、恐らくネックの取付手段として4本のボトルが使われている点だ。これはギターのネックをボディに取り付ける唯一の方法として、古くから受け継がれてきた木工テクニックの"あり継ぎ"ジョイン以外認めてこなかったギター作りの伝統を、数世紀ぶん遡って根底から覆す暴挙だった。名のあるギター・メーカーの多くが発売当初のテレキャスターをあざ笑ったのは、単にこの理由のためだ。あたかも労働者階級の人間が自宅の地階の木工作業場で作り上げたギターのように見えたのだろう。だが基本的にその指摘は的外れではなかった。また、あのギターが革命的だった理由もそこにあった。テレキャスターは誇りをもって一般大衆に向けられた、労働者階級の楽器だったのである。伝統的なアコースティック・ギターの工法におけるあり継ぎジョイントは、ネックとボディをまるで一本の木のように一体化させ、均一に振動させることにより、楽器自体のトーンを強化する。この観点から見れば、ボルト・オン・ジョイントなど完全なる暴挙である。しかし、この価値観は新しい楽器の発明には当てはまらない。しかも単なる楽器ではない。その時点では想像もつかないような未来形の音楽を担う運命を背負った楽器に対してそのような制約はまったく不要だった。

 ヘンリー・フォードが開発したモデルTの自動車(サンダーバード)と比較されることの多いフェンダー社のテレキャスターだが、これは日銭を稼いで生きるミュージシャンたちにとっても非常に実用的な楽器だった。価格も手頃ながら、簡単に修理の依頼もできた。ほんの少しのスキルがあれば、傷がついたりダメージを受けたネックをギタリストたちが自力で交換することも可能だった。ある意味で、20世紀半ばの時点でのレオのギターに対するモジュール式組立品式アプローチが、70年代に巻き起こったギターのホットロッド・レース大流行のお膳立てをしたのかもしれない。70年代では、ギタリストたちがギターを手にするや否やピックアップやネックやブリッジほかの部品を交換し、理想のトーンやハイ・パフォーマンスのプレイアビリティを追求したからだ。

 こうして、ランドールの発案により、フェンダーは話題の文明の利器にあやかって自社のギターに"テレ"の名をつけたが、やがてこの楽器の大衆文化への深い影響力は、テレビとほぼ同等だったことがわかる。

 テレビもテレキャスターも、いわば、第二次世界大戦後のアメリカ経済の活況を受けて形を成してきた大きな文化的傾向の一環として登場した製品だった。より多くの可処分所得を得らえるようになった労働者階級や中産階級の人々が社会的流動性のおいて上昇志向となった。そこで創造のひらめきを得た新たな世代の工業デザイナーや建築家が大量生産技術と手頃な価格の材料を活用し、新たに出現した購買層に向けて、入手可能な価格の範囲内で、生活をより快適で豊かにするスタイリッシュな消費財を市場に供給し始めたということだ。

 20世紀半ばのモダニストたちは、古い世界の技巧や意匠を真似るよりはむしろ、工業製品からある種の機能美を見出そうとした。例えば、椅子の組み立てに使われたボルトは、椅子を椅子の形に保つための構造の原則を表すものなのだから、堂々と見えたままにしておいて構わない。1950年に製造された椅子なのだから、ざわざわボルトをベニヤで覆い隠し、1850年に作られたように装う必要はない、といった風潮だ。

言うなれば、テレキャスターはデザイン的にも構造的にも20世紀半ばの近代主義運動の主張を見事に実践した楽器だったのだ。テレキャスターのシンプルなフォルムまるで1946年にチャールズ&レイ・イームズ夫妻がデザインした有名なプライウッド・チェアに通じるものがあり、無駄を排除した機能性はイームズ夫妻、リチャード・ノイトラエーロ・サーリネンらの建築家の設計により1945年〜1966年に南カリフォルニアに建築されたケース・スタディ・ハウスに通じるものがあった。初期のテレキャスターに多く見られるブロンド・ウッド・フィニッシュも、ヘイウッド-ウェイクフィールド社の家具を彷彿とさせる20世紀半ばのモダニズムの典型的手法だ。

20世紀半ばのモダニズムの主要な理論家の1人だったチャールズ・イームズは、近代主義運動の目標を以下のように要約した。家具について語る彼の言葉をフェンダー社が製造していた新種のエレクトリック・ギターに適用すると、頷ける部分がとても多いことに納得いただけるだろう。"至ってシンプルで、なおかつ快適な家具を作り出そうという発想だよ。大量生産の椅子なのに好影響以外の何ももたらさない。外見のフォルムを見ただけで作り手の意図が伝わる。確固たる存在意義を持ち、誇りをもって作業に向かう人々の手によって生み出される椅子だ。"


以上「エレクトリック・ギター革命史」第四章 "モデルT 〜テレキャスターが切り拓いた新世界〜”より引用。へえ、、イームズテレキャスターに共通する主張、の発想はなかった、なるほどという感じである。ところで文中「70年代に巻き起こったギターのホットロッド・レース大流行」の余韻は、僕が中学・高校生時期の80年代半ばになってもまだ残っていたと思う。詳細は本書後半の、エディ・ヴァン・ヘイレン登場の時代の記述に色濃く表れているのだが、たしかに当時ギターとは部品交換が前提というかそれをしてなんぼのもの、という空気は、ギターを弄んでいる当時の高校生の間にも、一部にあったような気はする。だとすると、そうかまさに、我々の世代は脱近代の一番最初だったのかも、とかなんとか。。しかし、ピックアップセレクターを切り替えたり、ピックアップ自体を取り替えたり、シングルとハムバッカーとの違いとか、そんなのはまるでわからなかったというか、そんな改造に躍起になるほどの根気もカネもなかった、というか、そんな余力を持つ高校生はごくわずかだったのだが、それはともかく本書を読むと、あらためてエディ・ヴァン・ヘイレンの凄さが実感される。単なる速弾き男としてではなく、この人もまた、ジミヘンとは違う意味で目の前の楽器を別の意味に読み替えてしまえる人だったという点においてだ。