分解


乃木坂まで行って、美術館入り口の様子を見て、入場までに二十分とか書いてあるのを見て、やっぱりやめるかということにする。八重洲や上野をふらふらしつつ昼過ぎには帰宅。ひたすら「エレクトリック・ギター革命史」を読んでるだけ。

 その後、エディの実験はどんどん大胆になった。わりと高価なゴールドトップのレスポールを購入後、彼は臆することなくビンテージ楽器の改造に着手し、ブリッジ・ピックアップを自分のほかのギターから取り外したハムバッカーに載せ換えて、より大きく強力なサウンドに作り変えた。それから彼はオリジナルのゴールド・フィニッシュが特に好きではないという理由から、それを剥がして黒く塗り直してみた。このときの出来栄えが想像以上だったことに気を良くしたエディは、さらなる自分好みの楽器作りのヒントを得て、バンドがファースト・アルバムを発表して以来、彼のほとんどのギターのボディで目にすることになったストライプのペインを含む、独自のギター改造の仕事に着手する


こういうやつ、昔、いたよなあ、という感じがするのだが、それにしてもあのボディに施されたペイントがエディ・ヴァン・ヘイレン自身の手によるオリジナルデザインであったとは、、驚いた。あれは当時カッコよかったと思った。まあ実は今も昔もヴァンヘイレン自体さほど好きではないのだが…。しかしあのギタープレイはさすがに驚愕に値する、それはさすがに当時からそう思ったことは思った。


それはともかく、当時の楽器業界の情勢も、そう言われているとたしかにそんな感じだったんだろうなあ、、というのがぼやっと思い出されて、なんとも妙な居心地の悪い思いに囚われる。なんか一度は耳にしたことのあるメーカーの名前ばかり出てくる感じ…。

消費者の声に聞く耳を持たないギブソン社とフェンダー社のヘッドを尻目に、大小さまざまなメーカーが商機を見出し始めた。アメリカの自動車メーカーの"ビッグ・スリー"の弱点を把握し、丈夫で安価なシビックで市場シェアを獲得したホンダの前例に習い、日本企業は米国のギター業界にも参入し始める。輸入品の特許侵害に対処して販売を制限する法律の不備により、60年代から70年代にかけては海外のメーカーが製造した高品質のレス・ポールやビンテージ・ストラトキャスターの模造品が大量に流入してきた。トーカイ、フェルナンデス、バーニー、アイバニーズ、ユニヴォックス、アリアなどの日本のメーカーは、手頃な価格の優れた商品をアメリカ市場に浸透させ、そして、プレイヤーの注目を集めた。また、市場の隙間を察知して、ピーヴィー、ミュージックマン、ヘリテージ、BCリッチのような新しいアメリカの企業も台頭してきた。

こういった新興勢力は確かに既存の大手メーカーに脅威を与えたが、依然として自分たちのヒーローが使っていたブランドの楽器を渇望するプレイヤーが多かったことは事実だ。彼らは、もう製造されないお宝のような楽器は購入できないとしても、すでに所有している質の低いストラトを改善することは可能だろう、という考えに至ったのだ。

70年代のフェンダー製品やギブソン製品の質の低下が必然的に生み出したのが、大手の工場から出荷される粗悪なギターを改良するための部品やアクセサリーという副産物であり---こういった物を作り始めた才覚のある理系の人材が築いた市場には、いささかセクシーさに欠けるが---"交換用パーツ"産業という総称が使われるようになった。

 エディが「ギター・ワールド」誌に語ったところによると、あのギターは何年にも渡る試行錯誤によってようやく生まれたものだという。

 先のゴールドトップのレス・ポールに一件でギター改造の味をしめてしまったエディは、1961年製のギブソンESS-335や1958年製と1961年製のフェンダーストラトキャスターを含む複数のギターを手術台に乗せた。"あの335は以前の俺のフェイバリットのギターだったんだよ。ネックが細くてアクションが低かったからね"。エディはフレットボードと弦が近接したギター特徴を指してこう言った。"とても演奏しやすかったんだけど、バンドのメンバーからは見た目が嫌われてたんだ"。

 不運なギターにエディが大手術を施した後の、彼のグループのリアクションがどんなものだったのかは外部の者にとっては想像の域を出ない。ビブラート・アームを押し下げるたびにチューニングが狂ってしまうES-335にイライラを募らせたエディは(ギターの弦にボディを固定する)テイルピースを糸鋸で半分にカットし、ワミー・バーを操作しても1弦〜3弦までしか動かないようにしてしまった。"そうすることにより、ビブラート・アームを使って高いほうの弦のチューニングが外れたとしても、俺は常に低いほうの3本の弦でコードをプレイできた"とエディは語る。"人はそれを見て愕然としたが、手を加えて使い勝手が良くなるものなら俺は何でも試してみるんだ"。

 ワミー・バーを多用したプレイがスタイルの中枢を成すようになるに連れ、エディはフェンダーストラトキャスターのビブラート・システムの方がチューニングをキープしやすいことに気づいた。だが残念なことに、彼の辛辣なバンドメイトからはストラトのか細いトーンは不評だった。そこでエディは自力でそのジレンマに対処する。1961年製のストラトのボディ内の配線をたどり、リアの位置に太いサウンドギブソンPAFハムバッカーを取り付けたのだ。

 "ブリッジのキャビティにハムバッカーを投げ込んだ俺は、なんとか回路をつないで鳴るようにした。これで多少は俺が望む音に近づいたんだが、それでもまだ不足だった。依然としてトーンが貧弱だったんだよ。これは恐らくボディの材のせいだろうな"。納得のいかない実験を何か月も続けたエディは、ついに楽器の分解後にスクラップと化した安価な部品をシャーベルの仲間たちから購入し、それを使ってオリジナルのギターを一から作ることを思い立つ。

 新品の交換用パーツや予備の部品でギターを改造するなどというのはまだ突飛な行為だったが、エドがどこからインスピレーションを得たのかは案外簡単にわかることだった。南カリフォルニアはホット・ロッド・カルチャー発祥の地であり、裏庭で自動車をいじるアマチュア・メカニックたちは、ジャンクヤードからパーツを拾ってきては、だれが最速の車を作ることができるか競い合っていた。エディの地元であるパサデナはこういったDIYカニックが集まる中心地であり、街じゅうどこを見てもカスタマイズされた車だらけだったのだ。南カリフォルニアのカスタム・パーツ販売店の草分けであるドン・ブレアの伝説のスピードショップは、エディが育った場所から2マイル圏内にあり、速い車で無謀な運転をする老女を歌った1964年のジャン&ディーンのノヴェルティ・ヒット、「パサデナのおばあちゃん(The Little Old Lady From Pasadena)」はこの街の"カスタム・カー・カルチャー"を風刺した曲である。

 当時、シャーベルとリン・エルズワースはギターの交換用ボディとネックを製造し、ブギー・ボディーズのブランド名で販売していた。1975年のあるとき工場に立ち寄ったエディは、50ドルでアッシュのストラトタイプのボディを購入した。これは彼の記憶によれば、いくつものボディが積み重ねられた山の一番下にあった"クズ"だったそうだ。彼はさらに80ドルを支払って、塗装前のメイプル・ネックも手に入れた。

 ボディはあらかじめフェンダー・スタイルの細長いピックアップ・キャビティが3つ彫られていたが、エディはノミを使ってリアのキャビティを拡げ、ハムバッキング・ピックアップを取り付けた。彼は自分のギブソンES-335からハムバッカーを取り外し、新しいボディにマウントしたのだ。これでギターの低音域のレスポンスとトーンのメリハリ、及びサステインが向上した。

 ボディにはピックアップ取付スペースがあと二つ残されていたにもかかわらず、エディはそれを空のまま放置した。彼には複数のピックアップやトーン・コントロールをつなぐための配線回路はわからなかったからだ。"ともかく俺はトーン・コントロールには触ったこともない"。さらに、フレットボードにギブソンのジャンボ・フレットを打ち込み、ネックにブラスのナットを取り付けた彼は、ビンテージのストラトからビブラート・テールピースを取り外して、この新しい自家製の楽器に再装着した。

 また、エディは空のピックアップ・キャビティを隠すために黒いプラスティック板を切り抜き、穴を覆って釘付けした。最後に取り掛かったのは、このギターの最大の特徴である白黒ストライプ・フィニッシュの作業である。エディは最初に黒のアクリル・ラッカー・ペイントを数回吹き付けた上からテープを巻き、白のラッカー・ペイントを何度かスプレーした。テープは最後のコーティング剤が乾いた後に除去された。こうして仕上がったのが、エディが大好きなレスポール・スタンダードとES-335とストラトの各々の良さを組み合わせたギターだった。

 "フランケンストラト"の誕生である。


"フランケンストラト"が、本当にレスポール・スタンダードとES-335とストラトの各々の良さを組み合わせたようなサウンドだったのかどうか、それはヴァンヘイレンのファーストアルバムのサウンドを聴いて判断するしかないが、正直、僕にはよくわからないというか、エレクトリック・ギターの音の良さというのは、そもそもよくわからない。そういう話題になるとひたすら話の尽きない人もいるのは知っているが、僕はそういう「音の良さ」についていまいち鈍感である。本書前半でのレオ・フェンダーおよびレス・ポールの発見「エレクトリック・ギターに従来のホロウボディ的な共鳴は必要ない、エレクトリック・ギターに対してこれまでと同じような音色の質感を吟味できる余地はない、事態は既にそういう次元を超えてしまった。」みたいな話の方が、よほど納得できる。とはいえ、プレCBSと呼ばれるヴィンテージのフェンダーギターがそれ以後とはまるで違うものだという話も、それはそれで、そうなのでしょうねえ、とも思うのだが、とにかく一つのエレクトリックギターに固有な、音質の特異性みたいなものに拘ることの意味がそれほどあるようには思えないのだが…まあ単に「良いもの」「本物」を、知らないだけなのかもしれないけれども。(いやいや、だからその"本物"が消失した、という話なのだけれども。)


それはともかく、しかしここで語られている、ギターそのものが部品レベルでバラバラにされてしまっている状態というものに、僕などは不思議な「なつかしさ」というか、そうそう!当時はそんな感じでしたね!と言いたくなるような郷愁のにおいを感じなくもないのだ。ほんとうに皆、なんでもかんでも分解していたような気がするのだけれども。。