チャーリー・クリスチャン


カレンダー通りのスケジュールなので、今日は出勤。明らかに睡眠不足だ、というか低血圧感がある。朝の通勤電車内、いつもよりかなり空いていて快適だが、体調すぐれず座って本を読んでいるのも少ししんどい。ぐったりと力を緩めて目を閉じる。


「エレクトリック・ギター革命史」第二章 "偉大なるチャーリー・クリスチャンの功績” を読む。読みながら、「ミントンハウスのチャーリークリスチャン」を繰り返し聴く。


チャーリークリスチャン、世界初のエレクトリック・ギター・ヒーローか…。ギター・ヒーローになれる条件とは何か、まず一つはギターという携帯性にすぐれた楽器でパフォーマンスできるということ、さらに電化された音声増幅機能が着いているのでトーンとボリュームを制御下におけるということ、あとは自分が思ったイメージに限りなく近い演奏表現ができるということだろう。


チャーリークリスチャンはギブソンES-150というエレクトリック・ギターを利用していた。(これを書いている今日、ギブソン社が破産したとのニュースが…)これ以前は普通のアコースティックギターで、ステージ上でマイクをボディ前に設置したり膝に挟んだりして音を拾わせていたらしい。しかしES-150をアンプリファイズさえすれば、もうその必要はない。


ニューヨーク、ハーレム、ミントンハウス、1941年、おそらく真夜中。ここで聴く事のできる演奏、これは何なのか。


一曲目「Swing to Bop」、曲の途中から録音されたのか、いきなりギター即興である。リズム隊はテンポ高速で、ひたすら刻む。熱い感じはわかる。ジャムセッションなのだ。チャーリークリスチャンのソロは勢いあり、余裕もあり、ゆったりと、しかし粘り歌うように続く。このようなギターにおけるソロ演奏そのものが、未だかつて存在しなかった。ギターがそれをしている。その違和感と場違いさ、唐突な感じ、木に竹が継がれた感じ、余所余所しい感じ。しかしそれでいて、完璧に仕上がっているということ。確信に満ちている、即興だが微塵も迷いが感じられない、すべてのフレーズが未来を正確に予告しているかのような、ジャズ演奏を聴いて「ああ、まるで神様のようだ」とかなんとか、大げさな事を言いたくなるようなときは、きまってこんな確信に満ちた演奏を聴いたときだ。たぶん、これこそがギターサウンド。絶対に安住の場所が無い音。


当時、チャーリークリスチャンは毎晩喝采を浴びていたのだろうけれども、それはおそらく「ギターなのに、あんな演奏するなんて凄い!」という事、だったとも思う。それは演奏そのものが凄いという事と違うのか?というと、たぶん違わないのだ。「ギターなのに凄い!」というのは「ピアノやサックスだったら当たり前」なのか?というと、実は違う。「ギターなのに凄い!」は、ここに限っては「ギターであることが凄い!」で、ギターそのものが凄いという事になる。ギターでなければ凄くないのではなくて、ギターでない状態はありえないのだ。条件が結果と逆転してしまっている。こういう状態はなかなか稀なのだと思う。


チャーリークリスチャンが、はじめてベニー・グッドマンの前で演奏したときは、極度の緊張でほとんどいいところを見せられなかった。しかしその日の夜「Rose Room」のソロを取ったチャーリーは、それでベニー・グッドマンを驚愕させる。彼はその後グッドマンのバンドで、レギュラーメンバーをつとめた。


当時アメリカではまだまだ人種差別が公然とまかり通っていた。ベニー・グッドマンのバンドにはライオネルハンプトンやチャーリーなど黒人もいて、その編成でとくに南部へのツアーに向かうのは危険なことでもあった。

 自ら雇い入れたアフリカ系アメリカ人を伴うグッドマンのバンドは、チャーリーが加入する2年前の1937年夏に、テキサス州ダラスのパン・アメリカン・カジノでの公演のオファーを受けたことで最大の試練に見舞われた。それまで人種が入り混じったオーケストラがディープ・サウスで公演したという前例はなく、統合をモットーとする自分のバンドにとって大変なギグになるであろうことを見越したグッドマンは、事前に軍事作戦のような綿密なプランを打ち出した。

 まず第一に、彼は黒人のミュージシャンをほかのバンド・メンバーと共にダラスのダウンタウンのスタットラー・ホテルに宿泊させ、同じ出入り口とエレベーターを使わせるという項目をオーケストラの公演の契約書に盛り込んだ。ホテルの経営側はこの条件を歓迎しないまでも、音楽界最大のビッグ・ネームが出してきた条件として快く飲む構えだった。

 これに加えて、送迎時にタクシー運転手から乗車を拒否される恐れのある黒人ミュージシャンの身の安全と人権を保護するために、彼は自分の愛車のパッカードを予め貨物列車でダラスに送った。さらにホテルの部屋から出入口を行き来する黒人ミュージシャンに同行するために護衛を雇った。

 "ベニーと一緒なら南部へ行っても何の心配もなかったんだ"とハンプトンは語った。 "周囲の人々からは「南部なんかへ行って大丈夫なのか?現地の白人に殺されるぞ」と言われたけどね。私はこう言い返したよ。「そのためには、南部の白人はまずベニー・グッドマンを殺さなければならないな」ってね"。

 結果から言えば、優れた音楽はしばしばファンに肌の色を忘れさせる力を発揮する。これは過去数十年に渡って何度も繰り返されてきた現象だ。チャーリーの驚異的なギター・プレイも人種差別主義者たちの態度を和らげた。