リアリティ

妻の実家へ伺い年始の挨拶、そのまま義兄と自分の二人でPS5ゲーム大会となる。僕はふだんゲームはほとんどしないけど、大昔は相当やってた時期もあり、好むのはレース系ジャンルばかりで、そこは義兄と趣味が一致していて、だからこうなると二人の小学生モードと化して際限なく怒られるまで遊んでしまうことになる。

レース系ジャンルばかり好むとはつまり、ゲームに「現実」とのギャップを見たい/埋めたいとの欲望に駆られてゲームに手を出すタイプということで、だからゲーム機やソフトウェアのほかにも、設置用フレームに取り付けられたハンドルコントローラだの、PlayStation VRだのの"リアリティ"補強デバイスが欠かせない。というよりもその効果を味わいたくてゲームを利用してるようなものだ。

しかし、今更ながら「PlayStation VR」はすごい。すでに発売から4年も経つとのことで、かつて体験させてもらって以来だけど、やはり「すごい!」の一言だ。まず飛行機のコックピットやレーシングカーの座席に座った状態で、細かい計器類に取り囲まれて小さなフロントガラスの向こう側の景色を見ているという状態、「狭いところに押し込まれている、そのような箱の中に閉じ込められて、計器類に取り囲まれている」という、この絶望的なまでに受動的な感覚。。隣の飛行機が号令と共にカタパルト射出され、ものすごいスピードで滑走路から離陸していくのを隣のレーンに待機して見守るのは、ほとんど恐怖そのものだ。「えー!何あのスピード…次は僕の番?」と狼狽しないではいられない。ゲームでサーキットを走っていて、これほどまでにコースの広さや狭さ、坂の勾配(高低差)を感じるのもはじめてのことだ。そして、前方を見ていることよりも左右や後方を見ることの面白さが強くて、そちらにばかり気を取られる。コース沿道にいる群衆やスタッフの姿をつい眺めてしまうし、地面や街並みの様子がはっきりとわかるくらいまで低空飛行を続けたくなる。

来年か再来年にVR2が出るとか出ないとかの話もあるらしいが、さらに高解像度になる進化ではなく「意外と見えにくい」結果をもたらすアプローチでも面白い、VRは高い解像度が、その視覚効果にさほど貢献しないのではないかとさえ思う。より不自由な、より「見えにくい」「確認しにくい」「手段が限られる」方向へ進んでしまっても面白いかもしれない…などと話す。