ストーカー

Youtubeで配信中の、タルコフスキー「ストーカー」(1979年)を観た。

"ゾーン"を便宜上単純に言うならば、それは「神や精霊」「真理」「本質」のようなもので、国家だか軍だかわからないけど、何らかの権力によって近づくことを制限されていて、しかしおそらく非合法的な"ゾーン"への案内人として、"ストーカー"と呼ばれる人がいる。

今回"ゾーン"を目指すのは中年~初老の、人気作家と大学教授である男性二人だ。居酒屋の小さなテーブルで待ち合わせた二人と"ストーカー"が"ゾーン"に向けて出発する。警戒監視態勢が敷かれてるらしい領域区画内をジープで突破し、トロッコで線路を進む、やがて朽ちた残骸の点在する自然豊かな湿地草原に来るまでの前半の感じは、まさに第二次大戦~その後の時間経過を彷彿とさせる雰囲気で、別の視点からつくられた「地獄の黙示録」的な、謎→未開の何か→過去→私の無意識・欲望みたいなものを巡る、旅の映画という感じだ。"ゾーン"を訪れることが出来るか否か、それは案内人"ストーカー"の腕にもよるだろうし、"ゾーン"を目指す人物の資質にもよるものらしい。もし失敗したら、彼らは二度とそこから帰ってこられない。決死の覚悟を決めて、目的地へ向かうことになる。


まるで地面の鼓動に耳を澄ませるかのように、苔むした地面に身体を横たえて眠る彼らの姿。手や首筋を、小さな虫が這いまわる。小さく折りたたまれた身体のすぐ傍らを水が流れている。彼らは"ゾーン"の領域の手前で、その姿勢でしばし身体を休める。一行はあまり統制が取れてなくて、しばしば"ストーカー"の案内に逆らったり、勝手に行動して途中で迷子になったりもする。その都度"ゾーン"は何らかの力で、三人に力をおよぼしているようだ。彼らの心身に何らかの変化が起きているのか、"ゾーン"なる力の発動がそれとどのように関係しているのか、すべては不明なまま、彼らに"ゾーン"を目指す理由や目的、"ゾーン"を求める私について、自己への問いがくりかえし呼び出され、恐怖や不安や疑心暗鬼が、心の弱さを露呈させ、しかし厳粛なる"ゾーン"の前に、最後は誰もが無言でたたずむ。結局はその境界手前で、彼らは踵を返して退却することを選ぶ。

"ゾーン"とは何か。全編を覆い包んでいるように感じられる、とりわけ"ストーカー"家族--主人と奥さんと子供に感じられる、十九世紀から続くロシアの大地的な、旧来のキリスト教信仰に対する敬虔さの感触をみるかぎり、そのように連綿と続いてきた民衆的な信仰心の、"ゾーン"とは一番基底の部分にあるはずの何か…という感じが、個人的にはした。少なくとも"ストーカー"ご主人は、"ゾーン"を求めるならば人間にはそのような敬虔さや厳粛さが必要だと思っており、先の二人はそれに欠けていると思っていて、そのことを強く不満に思っている。

この映画で"ゾーン"の神秘性は、最後まで解明もされず揺らぎもしないのだが、ある場面で謎めいた啓示を見せて映画が終わるとき、その「奇跡」が、いかにも旧来の生活・信仰の継続からあらわれた想像力の産物、という感じに思わせられた。

 

www.youtube.com