ドアのノブとか、テーブルの端とかに、手や足をぶつけて、痛…と思うがすぐ忘れてしまい、あとで気づいたらその箇所が痣になっていたり、けっこうな擦り剥き傷になってたりすることがある。このようなとき、身体が自分に必ずしもきちんと警告信号を返してくれなかったことに、自分が置き去りにされたような、もはや身体が「自分」のことを大してアテにしておらず、そんなに律儀に報告を果たす必要もない、自力で勝手に痛みに耐えて治すから、今後も互いに好き好きにやっていくのでかまわない、そんなふうに思っているのではと疑いを持つ。

身体が壊れるとは、部下が言うことを聞かなくなり、統率が乱れるということなのか。でも自分はそもそも、身体の上司なのか、主人なのか。身体は自分に従う気があるのか。そもそも身体は「自分」に対して、どうしてほしいとか、どこが気にいらないとか、そういう言い分はあるのか。そのことをこれまで一度も、問いただしたことはないし、話し合ったこともない。

身体が治るというのもまた、統率が乱れるということだし、部下の勝手な行動とも言えるだろうか。主人の心配をよそに、親はなくとも子は育つと云わんばかりに、身体は勝手に治って、元気に回復する。すっかり元通りになって勝手に行動をはじめる身体を、自分は遠い目で見やるばかりだ。

でも自分にかぎらず、どの「自分」にもあてはまるのは、先に死ぬのは間違いなく身体の方だということ。自分は死にゆく身体を看取って、それを見届けてからようやく死ぬ。(それがかりに「脳死状態」であっても、結局そうなのではないか…と根拠もなく予想している。)