2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧

不慣れな看護師や医師も、当然いるだろうし、不慣れな患者もいる。ごめんなさい、このあと内出血するかもしれません、少しキツめに止血帯させて下さい、申し訳ありません、と言われて、いえ、なんか申し訳ないですと言う。いえいえ、こちらこそごめんなさい…

明日早朝からの健康診断に備えて、21:00以降は絶食・禁酒なので、あえて夕食抜きとする。会社からの帰路を辿りつつ、身体の内側へじょじょに空腹という名のぽっかりとした空洞が広がるのを感じている。 このまま明朝まで少量の水だけで過ごさねばならない。…

解凍ではなく生が売場に出回る夏前から最近まで、今年はとくにカツオ刺身をたくさん食べた。まるで決まりごとのように、毎週サク1か2は食べていた。妻は呆れてものが言えないという顔をしていた。ぼくはカツオは、いくら食べても飽きないどころか、毎日でも…

www.youtube.com Ronald Isley & Beyonce – Make Me Say It Again, Girl 二年も前にこんな曲がリリースされてるのを、今はじめて知った。もちろんアイズレー・ブラザース1975年の同曲セルフ・カヴァーとなるわけだが、ビヨンセというだけで豪華な感じがする…

正規盤として最近リリースされたジミ・ヘンドリックスのセッション音源集「Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision / Jimi Hendrix」を聴く。エレクトリック・レディ・スタジオはジミ・ヘンドリックスが生前N.Yに作った自分のためのスタジオで、しか…

ボブ・ディランの「風に吹かれて」を日本語詞で歌った忌野清志郎は「その答えは風の中さ、風が知ってるだけさ」と訳したのだが、これはたぶんそうじゃない。答えは風の中だとしても、風が知ってるわけではない。風に吹かれているのだから、訳すとしても、か…

岡崎乾二郎「而今而後(ジコンジゴ) 批評のあとさき」所収の「ディランの頭蓋を開ける。:ディランの思想、夢を覗く」は素晴らしい論考で、詩人として、歌手として、ボブ・ディランという作家の何がすごいのか、彼のつくった作品は、どんな力をもってどのよう…

U-NEXTで、ジャン・ルノワール「ピクニック」(1936年)を観る。パリで商売を営む家族、祖母、父、母、娘、そして若い男が馬車に乗って、ピクニックで川辺の田舎までやってくる。レストランを見かけて立ち寄り、川で釣りをしたいだの野外で昼食をとりたいだの…

プラットホームから電車の発車を知らせるメロディが鳴っていて、階段を駆け上っても、間に合うかどうか微妙だった。とりあえず早足で進むと、階段の中程に二人の若い女が、酔っぱらってるのか、金髪の長い髪をゆすって、あたりをはばからず甲高い声で大笑い…

昭和レトロなどと呼ばれもして、テレビ雑誌などのメディアにも多数登場したことがあるらしい、そう言われればたしかにと納得する程度にはほどよく寂れた居酒屋のカウンターにひとりで座っていたなら、たまたま二席ほど空けた隣に客がいても、即座にそちらの…

ときには活気みなぎる中華料理屋を思い出させもするような、アラカルト主体の庶民的なイタリア料理店のカウンターにひとりで座っていると、たとえすぐ隣に客がいても、その顔をのぞき見ることはない。隣が二人連れなら、聴こえてくるのは二人の会話ばかり。…

21:00過ぎに就寝。アルコールの余韻もあってすぐに眠る。2、3時間で目が覚めてしまう。時刻は0:00前。しかしこれは予想どおりだ。ここで起きてしまうと、朝までまったく眠れなくなる。そうなったら大変だ。いま眠くはないが、完全に覚醒してしまわないように…

最近平日の帰りが遅くて水泳ができてないので、フィットネスクラブの日曜日スケジュールを確認する。コースの半分以上が幼児または就学児童で占められる時間帯は避けたい。せめて大人向けのレッスンが行われている時間に、端のコースで勝手にひっそりと泳ご…

NHK-BSで、刑事コロンボ シリーズ2「死者の身代金」のを観る。犯人の女を演じたリー・グラントが良かった。こんな裏表なき、まごうことなき悪女がこの世に実在したら、どんなにいいことかと思う。彼女はほとんど非現実的なまでに独りで大活躍する悪漢なのだ…

家で静かに過ごす。坂本龍一の「12」を聴いていた。 家で静かに過ごすと言ったって、家にいたら、色々な音が聴こえてくるので、けっして静かではない。 まず本棚の上の振り子時計。あれはけっこう音が大きい。カッ、カッ、カッ、カッ、カ…と、振り子が揺れる…

タマネギと大根でアチャールを作ってみた。 ぼくはカレーという料理は、好きだけど人並み以上に好むわけではないとは思うのだが、昔はランチ時に外でカレーを食べていた。店は御徒町ラホール(のブラックカレー)か、湯島デリー(のカシミールカレー)で、それ以…

むかしまだ若い頃に、音楽を聴いて過ごす時間を、あまりにも多く取り過ぎたのではないかと思った。音楽を聴いては、ある細部から触発されて泡のように浮かぶ想念をぼんやりと見ていたり、感傷のループをひたすらむさぼったり、静かで無人の空間の先で涼しい…

元グラビアアイドルの小柳まゆみは、いま靖国通りを歩いてる。 私の呼吸は短く反復する。景色は軽く上下しながら後ろへ流れていく。 顔の角度はやや俯き気味にして、ペースを落とさないように、くりかえしの要領で、身体が勝手に一定の力で、私はほとんど自…

二人でバスに乗り、病院近くの駅で降りる。妻が病院で診察の間、僕は駅前の蕎麦屋に入って、せいろを注文する。せいろは大したことなくて、わざわざ食べてみるほどでもなかった。 店を出て、妻は今頃治療中だと思いながら、花菖蒲の咲く公園まで歩く。天気は…

Amazon Primeで、ロベルト・ロッセリーニ「ドイツ零年」(1948年)を観る。最後の場面では、主人公の少年が瓦礫状態の建物の上階へと昇って、見晴らしの良い場所へ出て、さらに穿たれた穴の中とか、途中までの階段とかを巡って、どこかを目指しているのか、あ…

なぜか、ダイアナ・ロスの「Diana」(1980年)を繰り返し聴く。ナイル・ロジャース製作なのだな。80年代初頭。とにかく、カッチリしたい気分、だったのだろうな。 たまたまテレビで、相撲の「出し投げ」という技についての解説番組を見ていた。下手出し投げ、…

根津から上野、御徒町、湯島まで歩き、湯島の和菓子屋で、妻がぜんざいを、ぼくはところてんを注文する。お店でところてんを食すのは久しぶり。前回はずいぶん前、上野のあんみつ屋だったはず。甘味屋に行くと、ぼくにはそれしか選択肢がないのだ。それにし…

かなり昔に録画したCS放送から五所平之助「大阪の宿」(1954年)を観る。 東京から大阪支社へ左遷されてきた勤め人の主人公(佐野周二)が、大阪の宿屋に逗留し、会社の同僚とか上役、祖母や父の知り合い、宿主の女や女中、知己の芸者、その他さまざまな人々とか…

毎朝、京浜東北線で一時間近くかけて通勤している。東海道線のほうが速いのはわかっているが、各駅停車の京浜東北線を利用するのが習慣になっている。電車は横浜方面へ向かうので、最初は混雑していてもじょじょに空いてきて、横浜が近づくと再び混み始める…

アメリカ大統領選挙の結果が直前まで「接戦」と言われながらあっけない幕切れで、一度ならず二度までもこの事態を予想出来なかったことに軽いショックをおぼえる。一度目のときは、結果にどうこう言いたい気持ちはあったけど、今回はそうでなく、むしろ事前…

先日観た「新ドイツ零年」は、VHS録画の映像ファイルをPCで再生したのであまり良好な画質とは言えず、とはいえそれはそれで味わい深いところもあるのだけど、youtubeに同作品の英語字幕版がフルで上がってるのを見つけて、それを見たら絵がたいへんきれいで…

小石川公園のメタセコイアはまだまったく紅葉の気配はなく、青々とした葉を空に向けていた。幾本もの巨大な幹が、等間隔でまっすぐに空へ向かって伸びていて、空間がいくつもの縦の直線で区切られて、その合間を、光や空気が彷徨って、風が時折、落葉を雨の…

VHS録画で、ジャン=リュック・ゴダール「新ドイツ零年」(1991年)を観る。ずっしりと来る。ドイツ東西統一。歴史がいったん終わった…というのを、これを観ていまさら、雰囲気でなくある種の実感として感じる。そうなのか、こういう時期だったのかと、まるで…

錦糸町に四名集まる。焼肉店はじつに久しぶりだったのだけど、焼肉今更ながら、美味いなと思った。 牛肉の食べ方を、かなり大雑把に、西欧系で考えるか韓国系で考えるかの二者択一として、あらかじめ下味を付けたこの薄切り肉を、自ら焼いて喰うという後者の…

U-NEXTでジャン=リュック・ゴダール「アルファビル」(1965年)を観る。この作品でのアンナ・カリーナの美しさは途方もない。蠟のようになめらかな頬と、巨大な瞳と、毅然と結ばれた口元と、これ以外にありえないと感じられる顎のライン、その正面のクローズ…