古谷利裕「Plants」


画家の古谷利裕氏の絵画作品を前からほしいと思っていたのである。で、実はついに本日買ってしまったのであった。…購入した作品を抱えてとりあえず帰宅後、室内光の下に改めて晒し、眺めて、その後、いろんなところに置いてさらに眺めたり、妻と色々言い合ったりして、それでどこにかけるのか?はあんまり選択の余地もないのに色々悩んで、とりあえず今はテレビの上の梁が渡っているところの壁にかけてみた。…うーん素晴らしい。ものすごく良い。少し見上げるような感じで、…どうしても「梁」の横の線が強いのが気になるのだが、でも思ったほどでもないというか、予想よりちゃんと「見えてる」気もする。リビングの照明はオレンジ色のガラスの中の40Wで結構暗く、かつガラスの歪みの線が四方の壁に映り込むような部屋の雰囲気で、正直、夜はあまり鑑賞に良い光の状態ではない。でも午前中は太陽の日差しが入ってくるので明日の朝が楽しみである。飾る場所は明日以降、何日もかけてじっくりと試行錯誤するつもり…。ていうか、狭いしある程度の広さをもった壁も少ないので選択の余地はあまり無いのだが。でも実際、このたびの買い物は、まさに僕の人生の大きな節目になったと云っても過言ではなかろう。これで良いのだ。


ちなみに購入先は吉祥寺にあるギャラリー「A-Thing」である。ギャラリーの広川女氏および作家ご本人である古谷氏と、色々なお話を伺って楽しい時間を過ごさせてもらいました。。とりあえず今日は、その話の中で主に古谷氏のご発言から印象的だった事項をメモしておく。


購入させてもらった作品はほかと較べて「かなり時間がかかっていて、苦労した」作品だそうだ。それはつまり、ひとつの行為に至るまでの逡巡や思考が長い、という事ですか?と訪ねたら、いやそれもそうだが、実際かなり手数も(ほかと較べて?)入っているのだと、ジェッソが素材だとあまりそういう感じがしないけど、実はほかよりもやや苦労したし、手数も多い(と思われる言葉だった)また「赤」(というよりくすんだ、茶褐色のような、そのときは僕は口にしなかったのだが、あの色の印象を桜の木の葉が紅葉した色そのものだと思うのだが。)という色が非常に扱いにくいのだと仰っていた。それは制御・操作しにくいという事か?と訪ねたら、それもそうだし、判断しにくい、という事でもあるとのお答えだった。奥に引っ込んでしまうか、いきなり前に飛び出してしまうかが極端で、その中間の適切な位置に納まってくれ辛いのだと。でも色自体は好みなのだと。


2004年の諸作品があって、2005年の川崎で展示された書作品があって、今回購入させて頂いた作品は2006年制作のものである。僕は最初、その作品が2004年に観た作品の印象に近い感触をもっていて、制作年が2006年と「川崎」以降である事が意外だったのだが、それは「そういう流れ」がある訳ではなくて、その都度の判断で作られただけであって、外見の似た印象は年代には関係ないのだと。


また非常に印象的だったのが、2005年の作品群に顕著な特徴である、タッチがフレームの中央に寄り集まっているかのような一連の作品の印象に対して、そのありさまを「ブランクの価値」という云い方で説明されていた。つまり、タッチとタッチの間にブランクがあるとき、そのブランクが「フレーム」に対して生成する欠落なのか、「フレーム」を超えて生成しうる欠落なのか、というところが問題とされており、それを問題とした結果、あのような仕上がりに至ったのだと。しかもそれはかなり「早く」出来たのだと。


なんというか、描かれたものたちが、フレームというものに対して、まだ相当のゆとりがある状態で(まだ自由度の高い状態で?)存在しており、それらの明滅が、フレームからの影響がまだ薄いレベルで活動できるというのか…そっちまで近づかないままで縦横に豊かに息づいていられるというのか、そういう状態が目指された、という事なのだろうか?と推測した。逆に考えると、フレームぎりぎりまでタッチがせめぎ合っている作品群(僕が購入した作品もその範疇に含まれるだろう)はその時点でもうある決壊があるというか、ある意味突破してしまっていて、所謂、既存の「絵画」の問題に闘いのフィールドが遷移している状態なのかもしれない。というか、それはそれで在り方として、作家の中で由とされているのだろうが、おそらくは「もし可能なら描き出した部分が圧し広がっていってフレームにせき止められる事にならないで終わりたい」という気持ちがあるのだろうか?とも思った。


…このほかにも沢山の興味深い話があったが、ここに書いたのはもちろん、これは僕の記憶をもとにした言葉に過ぎず、その意味で「間違っている」部分を含むかもしれないが、とりあえず書いておく。我ながらかなりかなり大雑把で(夜も更けてきたし急いで書いてるところもあって)ちょっとアレかとも思うが、これはあくまでもメモで、しばらく古谷氏の作品については考えを継続したい。自分のとっての古谷作品を考えるために(くどいようだがあくまでも僕個人の勝手な思いに基づいて考える、と言うこと。)