雨天


夜半から雨が降る。朝になっても雨が降っている。一日中降っている。傘を挿しても身体に雨はあたる。腕や足を静かに雨が濡らしてゆく。少しずつ沁み込んでゆく。雨が沁みこむのではなく、身体が、少しだけ雨の方に沁みこんでいく。紅葉した葉が薄汚く積み重なってアスファルトに貼りついている。雨に濡れた光沢をまとったガードレールの眩しいほどの白さが目に飛び込んでくる。周囲をダンボールで囲ってその上からビニールシートを被せて、上には少しずつ角度を変えて幾重にも重ねたようにビニールの透明傘を置いて雨除けのようにして、その中にじっと蹲っているホームレスの住居にも、少しずつ雨は沁みこむ。そのダンボールやビニールシートに沁みこむのではなく、ダンボールやビニールシートの方が、少しだけ雨の方に沁みこんでいく。居酒屋がぎっしりと店子で入っている小さな雑居ビルの朝の白々しい空気と、店の前のゴミ捨て場に大量に積まれたごみの入った袋と、その上にかかっているカラス除けの網も雨で濡れている。雨がごみに沁みこむのではなく、ごみが少しだけ雨に溶け出す。雨へと変わりゆく。自動車が濡れた路面を走るときの「シャーー」という音が、さっきからひっきりなしに聴こえる。水飛沫があがり、あらためて雨の匂いがたち昇る。車の走りすぎる音を聴く。少しだけ雨の方に沁みこんでしまったかのような音を聴く。それを聴くだけが人生か。この「シャーー」という音を、この後死ぬまでに一体何万回聞く事になるのか。