余生


正直何も書く事がないのはまずいと思う。もちろん毎日毎日しょうもないことをひたすら書いてるのもいい加減まずいとは思うし、自分の書いたものを読み返すと、なんだこいつはこんなやつ早く死んじゃえば良いのにと思う事も多々あるのでそれはそれでまずくない訳ではないけど、でももはやすっかり何も書く事がなくなりましたというのは、もっとまずい。なんでもいいから、書いてれば良いとは思わないけど、でもここまでくると、それでも良いと思う。ブログでネコも杓子もみんな字を書くようになってしょうもない馬鹿馬鹿しいタガが外れた全てはぶち壊しという意見もあるだろうが、そういう話ともブログだのインターネットの何とかとも関係なくなんでも良いからとにかくひたすら書いてさえいればいいのだ。よくかけたとかかけないとか、そんな事も大した問題ではないのだ。とにかくただ書くということが目的でそれが全てに優先する仕事で、でもとにかくただ書くために整えなければいけない事や準備の必要なことや気持ちや時間の問題とかは、けっこうものすごく色々あるのだ。それを喪失してしまうことは実に簡単だ。まだ若いのに、もはやただひたすら移動してるだけみたいな、もう余生の数年間を横移動する風景動画を見てるだけみたいな、ほとんど死んでるも同然の人間というのはいっぱいいて、そういう人間の仲間入りをするのは実にたやすい。というかむしろ一人でも多くの人間がそうなってくれることを望んでいる人々もたくさんあることだろう。そういう人のたくさんいることはよくわかった。みんなもっと好きにやった方がいいよと言いたい。もちろん自分で自分にも言いたいが。でも書く事ない。まじで。だからひたすら頑張って読む。虫が葉っぱをひたすら喰い進むように、何の目的もなくただひたすら読み進むことにする。こう書くと「ただひたすら読み進む」ことが先取りされた目的みたいになってしまうけど、もちろんそうではない。というか、読んでいるとそう簡単には最初の思惑のとおりにならない。そう甘いものではない。なので、そこはもう、ただ読むだけ。それこそまさに、単に方向に任せて移動するのみ。窓の風景を見つめ続けるしかない。ただし、今までよりも最近は、ずいぶん丁寧にひとつずつ、窓の景色を見るようになったと思う。そのペースだけが、今はとりあえず、あらかじめここに言葉として先取りした何かとして書いてもあまり違和感はない唯一の感触だ。そう。その見る時のスピード、というか、そのリズム、というか、そのグルーブ。