本日分


外がすごいから見てみろと妻に起こされる。時計を見たら朝の六時。雨の音がものすごく激しく聴こえる。目覚めてすぐのぼけぼけの頭で窓を見上げると、外の空の色が真っ白で、これは降ってるのか?と思うが、はっきりとわからない。そんなに言うならたぶん、ものすごく降っているのだろう。妻が窓を開けると、「外」の匂いがたちまち鼻腔の奥まで届いた。それとともに生暖かいぬめるような感触の外気が部屋になだれ込んできて、自分の顔や首元の周りにまとわりつく。生まれたての四足動物のようにようやく立ち上がった。全身が血液と酸素不足でふらふらのぐにゃぐにゃなまま、窓際に行き目をこらして外を見る。家々の屋根やマンションなどを見て、雨が降っているのを見ようとするが、見えない。すごい降ってると言うが、そうは見えない。なぜ雨が見えないのかが、よくわからない。もしかすると、今見てるこの景色全部が雨の線の向こうってことかもしれない。もしかすると雨の線が多すぎて目に見えないほど降っていて、この景色全体が雨一枚の向こうにあるか、あるいは雨一枚がずっと向こうまで延々重なっている無数のフィルターを通した景色だからかもしれない。その後、とりあえず二度寝した。大江健三郎の「水死」残った100ページあまりを正午から読み始めて夕方五時半くらいに読み終えた。「大眩暈」のあたりを読んでいたのがたしか水曜日あたりだったと思ったが、この数日間体験し続けたデコボコさというか、このウネウネさ。変な名前。変な言い草。こうやってゴリゴリと音を立てるかのように書き刻んでいくものなのだな。食事の後、自室でひさびさにステアリングコントローラーをセットしてパソコンのGPLでイタリアのモンツァを走る。その後南アフリカのキャラミを。続けて1998年のモントリオールを走ろうとしたがコースに出るとアプリケーション自体が落ちる。コルシカ島も同様。モンテカルロにする。ここ十年近くで一番上手く走る事ができた。でも三週目で疲れてきて、そしたら壁にヒットして車が壊れてアウト。そのとき聴いていたByrdsのアルバム「Ballad Of Easy Rider」収録のディラン・ナンバー「It'S All Over Now, Baby Blue」はTurn! Turn! Turn!収録のヤツよりもややダウンテンポで全然いい感じ。Byrdsといえばほんの二、三週間前に買ったアルバム「The Notorious Byrd Brothers」の再生回数をちらっと見たらものすごい。毎日、一日に三回くらい聴いてたのか。でもこれはたしかに名盤だけの事はある。これを今まで聴いてなかった事が、なんか納得行かなく、それまでの自分を責めたいくらいだ。大江健三郎もとくに初期の代表的なところはわりと読んではいたのだが、とくに90年代以降の作品は今まで全然読んでなかった。やはり読むと、ものすごく面白いので、なんとなくそれまで放置していた期間を勿体無く思ってしまう。本を買って読むとどれもこれももっと早く読みたかった本ばっかりだ。