荒川沿い


千住新橋を歩いて渡りながら欄干の下を見下ろすと、荒川は悠然と流れている。そして真下の視界のほとんど、遥か先までがすべて水の流れに占められていて、おぉ…でかい川。と思う。風が真横に吹きつけて、でも初夏のような陽気でむしろ風がさわやかで快適である。空には濃いブルーの空を背景にして入道雲が鮮やかに白く立ち昇っている。川は、水面にさざなみを幾重にも重ねて、全体に細かい縦縞模様がまるで螺旋系にくるくると回りながら上へ上へと昇っていくみたいな、意志のある生き物のような波紋を浮かべていて、不断に隆起し続ける波の先端は、陽光を反射して一つ一つが細かくきらきらと光る。川を隔てて、地域が綾瀬と北千住とに分かれているが、ちなみに先月の震災があった日は翌朝になっても電車が北千住から先動かなくて、この橋を渡って帰宅する黒いコート姿のビジネスマンが早朝から行列で行軍した。黒い行列を見ながら、自分達が立つ足場の脆さを何とも言えない気分で実感した。勿論僕もその行列の一員だった。


川の両脇には、芝生とサイクリングコースの、公園のような広場が広がっていて、釣りや散歩や、ホームレスの住居や、サークル活動や部活動練習などの人々が小さく動いているのが見える。ブラスバンドやダンスの練習をしていると、川の色や芝生の色から浮き上がるような、金管楽器の光を反射する輝きがきれいだ。あとデカイ旗を振ってるのもたまに見かける。デカイ旗もこんな川っぺりで打ち振られても全然意味不明ながら、旗というもの自体に何か強い意味がぎっしりと詰まってる感じがするので見ていると面白い。要するに川沿いで見るものだと大抵面白い。


あと野球場も何面かあって、いつも草野球や少年野球をやっている。だだっ広い緑色の芝生の、ある一部だけ丸くぽっかりと明るく白っぽい土が剥き出しになって、色が違う部分の時計でいう三時と十二時と九時の箇所に印が打たれていて六字のところにバックネットのフェンスが立っている。その菱形を構成したことで、かろうじて野球場ということになる。地面にああやって線を引いて何か区画を作って、そこでルールに基づいて何かをしているのが露骨に見下せる感じでこれも面白い。川の傍でみんなが等しくヘルプレスな感じだ。


それにしても上から見下ろしてると野球は、サッカーなど他のスポーツと違って、やってる人がダイヤモンド型の矩形やその周辺の緑色の芝生の各点に、いたりいなかったり、広がった空間の色々な座標に、何か意味ありげに立っていたりいなかったり、ある空間だけが、妙に空いてたり、ある一角には、人々がぎっしり集まっていたり、急に全員がばたばたと走って一箇所に集まったりまた散らばったり、まったく何の意味や目的があるのか不明な、なんとも面白い営みが行われているように見える。スポーツをやっている当事者たちというよりは、何か、事の成り行きを他人事のように参加者全員で見守りながら、必要時には指示に従ってそれぞれ動いてるだけのようにも見える。


両チームそれぞれの陣地には、荷物やヘルメットやバットなどがものすごく整然と並べて置かれているので、上から見るとまるで何か幾何学模様を描こうとしているようにも見える。しかし少し離れたところには、たぶん参加者の家族とかがピクニックシートをそれぞればらばらの方向を向いて適当に広げている。これはこれで、まるで何か別の秩序があるようにも見えるところが、上から見下ろすとき特有の錯覚というものか。