書く営み

NHKが再放送した「NHKスペシャル 響きあう父と子・大江健三郎と息子 光の30年」を見ていて、三十年前にも思ったことだけど、大江健三郎って、ほんとうにあの広いリビングのソファーで、ずっと仕事するのだろうか。ソファーに腰かけて、膝の上に画板みたいなものを乗せて、そこに原稿用紙を置いて執筆してる。ああしてソファーに身体を預けていれば身体的には楽そうだけど、しかしあの姿勢で集中して書けるものだろうか、あれで仕事になるものだろうかと思う。

ソファーの大江健三郎はペンを走らせ続け、やがて原稿用紙に「完」を書きつける。そして傍にいた奥さんに「ああ、終わっちゃったよ…」と告げる。そうすると奥さんが、ちょっと驚いたような声で、でも朗らかに「え?あら、終わっちゃったの?」と返す。これが「燃え上がる緑の木」の第一稿完成の瞬間をとらえたものだと言うのだから、いやいやいや、それはいくらなんでも・・となる。少なくとも自分の仕事をしているときと、それが終わったときに、その直後、すぐに(身内とはいえ)他人とコミュニケーションとれること自体が、信じがたいことに思える

いや、だからあれはおそらく、テレビ撮影用の「芝居」であり、さすがにじっさいは自分の書斎か仕事場で仕事してるのだろうけど。

だいたいモノを書くとき(自分のこんなブログでさえ)それなりの集中力を要する場合、まず自室で一人で、紙またはモニターに向き合い、姿勢はやや前のめりで、とにかく自分から何かを出力しようという恰好になるし、そうでないとなかなか難しい。ましてやほんの近くに家族の誰かがいたりすると、それだけで途端に書く難易度が上がるというか、書くモードに入れなくなる。それをそうならないように、どちらかと言えば、生活のあるひと時だけ、誰にも見つからないようにコソコソと書く時間にあてている感じに近い。

そういえば、昔は日記だの自分なりの書き物というものは、誰にも見せずに自分だけで書くものだった。ところが今はインターネットで不特定多数から読まれることを前提にして…などという話は、よく云われるけど、でももっと根本的なところで、そうやって自分が書いている文章を、家族や身内からも読まれるものとして書いているか、もしくは自分(とネットの向こう側の匿名的な誰か)のみ読むものとして、現実の家族や身内には内緒の、そういう密かな営みとして書いているか、その違いは今も昔も変わらずあるだろうな、と思った。