世間一般における相場がどのくらいとか、相場当たりのスキルがどのくらいとか、そういうことも今後わかっていって、ストックしていければ、より良いのでしょうけど。まあ、無理言ってるのは、お互いよくわかってるとして。


…厳しい会議を明日に控えている。議題はともかく、…つて、議題が重要じゃない会議って?って。


いや、よくある。そういうのは。


あすのミッション。Dの存在意義をひたすら発言。防衛死守ライン。これに失敗したら、本質的敗北。まあ、根回しはあらかじめしてあって、利害の確認共有も済みなので、失敗はまずはないが、問題はパフォーマンス。そのクオリティ。現状維持以上の成果を勝ち取れるか。今後、この手の会議そのものをまったく別の何かに変えてしまえるような展開にできないと、こんなことを繰り返していては、いつまでたっても、同じ場所でわいわい喚いているばかりで。


相手の頭に、手を突っ込んて、その中身を書き換えてしまうことは、できない。それは、できないのだから。だとしたら、何ができるのか。何の、意味があるのか。利害の共有で、一致は可能だ。それはおそらく、たやすいだろう。しかし、それ以上。なにかもっと。


…むしろ、相手を認める、とか。…いや、それはこれまでも散々、やってきていて。相手はこちらを、障壁と思ってないのかもしれなくて。


苦しみを、もっと与えられるか。ということ?嫌な思いをもっとしてもらおうと。いやそれも酷いが、いや、でもこの状況では、苦しみこそが最大のギフトではないか。苦しみそのものをあたえるのではなく、苦しみのボリューム感だけを、そっと渡せるか。いや、それも嫌だけど、でも結局、ひたすら嫌な思いを配布してまわっているのと変わらないのかもしれないけど。


ひとの苦しみを、共有する、それを、想像するために。その想像の苦しみを与えたい。皆に平等に?冗談でしょう。でも、それ、そのものにならなくても、同等に、いや、俺など、もう散々、出血してるぞ?!、という、その自覚、その誇り?その被害妄想??それは最初から信頼に足るのか?そういう憤怒は、いったいなんなのか。


…さあ、もっと冷静にいけるか。冷徹で残酷な人間ほど、他人に優しいし、役にも立ってるってことだな。とはいえ、そうでもない人間でも、そこそこポテンシャルを示せるか。