傑作


会社を出て駅まで、19:30を過ぎて暗くなったが、空気がさっぱりしていて気持ちの良い夜だ。ceroを聴きながら歩いた。


おじさんなので最近「回想」が多いが…、00年代に「くるり」がアルバムごとに目まぐるしく作風を変えていったあの感じ。「この人たち本気だ…」と有無を言わさず思わせたあの感じと、今回のceroのアルバムから受けた感じとは、似ているとも言えるが、やはり違うだろうなーとも思う。ceroの方がおそらくもっと曲単位というか演奏単位というかもっと細かく自らの自由度を認識しているような、従来の「アルバム」という単位とか、もっと言うと「ロック」という単位とか、従来の人達がある程度高いレベルの仕上がりを手にしそうになったときに、なぜか嫌でもそのような亡霊を意識させられてしまうような、意識せざるを得なかったような、大げさに言えば過去とか歴史みたいなもの、そういう何かを、もはや気にしないでも済む地点に居る人達としてceroもいるのではないか、みたいな。要するに「くるり」は当時「傑作を次々とリリースしていた」と言えるような気がするのだが、ceroに「傑作」という感じは、あまりしない。最新作はすごく良いし野心作だけど、「シーンに衝撃を与える」とか「これ以降は本作抜きではありえない」とか、そういうのではなくて、単にそういう音楽があるだけ、みたいな…。前作「Obscure Ride」はともかく今作には「傑作」という言葉もすでに似合わない気がする。作品というか、もっと動く途中の過程のものというか、スタティックに聴くそういう感覚そのものが終わったということだろうか。それも単なる自分の勝手な感覚に過ぎないか。