敗者

恋愛を歌った歌に関して「勝敗」で区分けるとすれば、僕は敗者側の歌を好む。恋愛で勝利した側は、自分が勝利したという自覚がない。君と一緒でハッピーだと、その素晴らしさを力一杯歌うだけだ。もちろんそういう歌に素晴らしいものはたくさんあるが、敗北した側、もしくは敗色が濃い側は、その現実を受け止める/受け止めることができない苦しみの苛まれて、その状態そのものを歌うしかない。そのとき対象の「あなた」は、ほとんどわたしの想像上の人物になってしまう。想像上の人物がこのわたしに振り向いてくれないことの苦しみをうったえ、しかし次の瞬間には振り向いてくれるかもしれない期待に有頂天になってそのことをうたって、いずれにせよ解決は来ることなく、ひたすらぐるぐると同じところを回り続けるだけで、そんなわたしの堂々巡りそのものが歌われるしかない。

「だったらわたしは、どうすれば良かったの?」という問いに正解はない。「はじめから、どうしようもないのです。」としか言えない。そんな問いそのものが、無意味だ。しかしなぜこれほどの無意味に、未だに人は翻弄されるのか。それは大げさに言えば、人類がかかえる謎の一つではないか。それは神経症の症状とほぼ変わらないのだろうけど、多くの人がその病を患い、ほとんどすべての「敗者」は、やがて自力で症状を克服する(忘れる)。