手書き


保坂和志トーク(http://advenbbs.net/jump/?https://www.youtube.com/watch?v=PXS-b92lwJU&feature=youtu.be)を視聴していて、その話のなかで、ワープロだと、手を止めたときに、全体を読み返すような状態になるが、手書きだと、手を止めたときに、窓の外を見ることになる、と言っていて、思わず「おおー、なるほど!」と声が出てしまった。


僕は世代的に、二十代の終わりまでキーボードで文字入力をすることがほとんど無かったような人間なので、ある程度の分量の文字を書いて、書きやめたときは、たしかに机上の書きかけのものを見るのではなく、その周囲の何かを見ていたはずで、ワープロの話を聞いたときに、そう、それはたしかにそうだった、という実感というか、記憶のようなものがふいによみがえってきたような感じがしたのだ。


日記を断続的に書いていた時期というのがあって、おそらく中学生のときから高校くらいまでと、大学にはいって少しくらい。それ以降はなくて、35歳くらいから再び書き出した。それはブログというものが登場したからだ。でもたぶん、ブログが登場したときは、僕はブログ的なものを書こうと思ってはじめたのだ。ブログという制度というか、その文化に従って、その枠内でやろうと思っていたはずだ。ところがこれは結局、ブログというよりは、何かもっと別のものになってしまった。日記とも言えないし、なんだかよくわからないものを書いているような感じである。