平山城址公園


長沼駅に着いたのは十一時過ぎ。長沼公園〜平山城址公園高幡不動と、それぞれ電車で訪れる計画だったのだが、いきなり長沼公園の入口がふさがっていてどうしたことかと思ったら、土砂崩れが起きたためにいくつかのルートを閉鎖中との掲示がされていた。別の入り口なら入れるのかもしれないが、とりあえず予定変更ということで、その場から平山城址公園を経由して駅までの徒歩コース。そこから高幡不動までは電車で、という流れになった。


約一時間半ほどかけて歩いたこの地域は、上り下りのかなり激しい土地に一戸建ての住宅が立ち並んでいて、落ち着いた雰囲気の居住区ではあるが、平坦な地面はほぼ一切なくやたら上り坂と下り坂が連続していて、なんという地形だと驚いた。これは日々の生活だと、ふつうの自転車を利用するのはほぼムリというか、こんな上り坂を自転車漕ぐのは絶対に嫌だと思うような勾配である。その後やがて東京薬科大学に隣接した感じの平山城址公園内へ入っていくのだが、このあたりはつまり、場所や施設的な区別で考えるよりも、いくつかの山々が織りなす高低の織り目を移動しているだけと考えた方が良い感じで、床に適当に投げ置かれた厚手の布があるとして、そこに幾筋かの皺が走っていたとして、その皺の凹凸を、蟻のように小さな我々が必死に移動しているようなものだと思う。だから住宅地だろうが公園だろうが駅までの道だろうが、土地の形状はそういうことに頓着せず、ただひたすら思いのままに起伏をなしているだけで、人間たちがそれにへばりついて社会を形成している感じだ。公園内の見晴台のところまで来て気圧を計ると1000hPaを軽く下回る。高度170mくらいか。下の世界では1030hPaに近い。


平山城址公園は公園というよりも、山の斜面の途中という感じだ。たしかに散策に適した小道が作られてはいるが、公園という限られたフレーム内という感じが希薄で、自然が偶然に公園っぽい囲われた空間を形成していたので、後付でその一帯を公園と呼んでいるだけのようなイメージに近い。そして去年もそうだったが、まるであらかじめ設定されているかのように、数分に一度、風の音がして木々が揺れる。それにともない木立の中間部分に溜まっている光が揺ら揺らと明暗を揺るがし、やがて静かになると、絶妙にテンポを遅らせて、今度は落ち葉が無数に、大粒の雪のように音もなく降り注ぐ。それがひたすら定期的にくりかえされる、ここはほとんど、それだけを見にくるようなものだ。


この公園に来るのは、しかし今回で何度目なのか。もう四、五回になるだろうか。はじめて来たときから、もう四、五年経つのではないか。


高幡不動の紅葉はまさにピークだったが、人混みもピークだったので早々に退散した。人間の数よりも人々の持つカメラの数の合計数を想像した方がすごかった。