二人


フレッツ光の工事が朝から来た。二人の作業員がお邪魔しますと言いながら部屋に入ってきて、電話線のところにしゃがみこんで配線作業をはじめる。途中、トラブルというか、思ったようにスムーズに作業が進まないらしく、やがて一方のたぶんベテランらしき若い作業者が、いらだたしげに部下みたいな年配のおじさんを怒鳴りつけたりもしていて、おじさんの方はテンパって右往左往していて、なんだか雰囲気が悪い。引越し屋さんとか、この手の他人宅へ上がって配線などする仕事の人というのは、客に気を遣って大変だろうなと思うが、作業者同士でそんな雰囲気だと、そういうのを嫌がる客もいるだろうになあとも思う。まあ、レストランで食事しているときに厨房の奥からものすごい怒鳴り声が聞こえてくるとか説教の声が聞こえてくるとかも、そういうのはけっこう普通によくある事だったりするし、店にもよるだろうけどわりと高級店とかでも全然よくあることで、お仕事大変ですよねくらいの事だとも言えるけれども、でも自分が怒鳴られる立場になるのは嫌だというのはある、というか実は怒鳴られる立場を避けるやり方というのはたぶん世の中に確固としてあって、大抵の人はそのやり方を行使してなんとなく上手くやっているのが実情ではないかと思うが、で、それはそれで良いのだろうけれども一番良くないのは、そうやって上手くやった自分に自足して、今度は怒鳴られる立場の人に対して、そういう立場から抜けるやり方を早くおぼえれば良いのにとか何とか、いらぬおせっかいしたり偉そうに指図したりもすることで、そういうのは全く身の程知らずな傲岸で不遜な態度だという自覚がないというのはけっこうあわれなことで、怒鳴られる立場の人というのは、怒鳴られずに済むやり方もあるのだろうということは、たいがい薄々気付いていることも多いし、気付かないというかそういうやり方を自分自身が行使するのが想像もつかないといったタイプの人も多いと思われ、つまりそれはそれで、その人としての存在に則してその立場なのであって、だからそれで全体的にうまくまとまってるのだとはけして思わないが、これはこれで立場というのはそう簡単なものではない。簡単に考えてしまう場合、あなたの場所も私の場所もほんの偶然で出来上がっているに過ぎないという想像がない。もちろん怒鳴られて嫌な思いをしていくうちに次第にものをおぼえて、おぼえていく喜びを感じつつ、やがて成長して、というまっとうな展開もあり、それはそれで喜びではあるだろうし、でも人によってはここまで来れて良かったけれどあの過程が良かったとは今でも思えないと感じている人もいて、必要悪としての苦労を尊ぶとか、そんな苦労そのものを拒否するとか、そのあたりも価値観として千差万別であって、でもいずれにせよ結局すべてはゲームに過ぎず、誰もが一つのルールに従う必要はないのが前提なのに、上司と部下みたいな関係においてはそうせざるを得ない状況が発生するわけで、人間と人間のこれほどかなしく望まれない関係形成もない。だからひとまずは他人の立場というものに対して、双方慎ましく相手を尊重して謙譲し合うのは基本だとも思うのだが、こうしてだらだら書いているこれはさしあたり一般論であり、何しろ今、自宅でしかも目の前で他人の誰かが誰かに怒鳴られていて、それを見てる自分は、ああ大変そうだなあとぼんやり思っているだけなのだから、それはどうなのか。でもそう思いながらも、怒鳴ってる方も必死ではあるのだという雰囲気も感じられて、たしかにそりゃそうだ、今、すでに本番中なのだ、犀は投げられているのだ、ここは他人の家で、もう失敗できない、退却は不可能なのだし、もし戦争ならこのまま死んじゃうわけだし、難しいものだ。