11:30頃、ケアマネさんから着信、嫌な予感。やれやれの思い。心停止状態、救急隊員さんが今心臓マッサージ中とのこと。思ったよりも大ごとだった…。とりあえず、こちらも移動の準備をすると伝えて電話を切る。それほど感情に昂りとかはなく、淡々としている。そうか、もしかすると死ぬのかと思う。今じたばたしても無駄だし、とりあえず昼だし、飯を食おうと思う。弁当を食う。何事もないかのように、まわりの人達とふつうに対話している自分を、面白く思う。五分程度で半分くらい食べて済ます。上司に報告して、留守中のざっくりした計画を決める。会社を出たらそれを待っていたかのように再度電話。病院で処置中の医師からである。相当厳しい状況であること、このまま回復が厳しい場合、ご家族のあなたとしてはどうしたいかを問われる。脳死とか植物状態とか、それでも生きていてほしいか、そうじゃないか、あなたはどうなんだ、今死にかけている本人なら、何と思うか、何と言うか、僕ではなく本人の代替として、僕がそれに答える、そう思いたいが、僕は本人ではない、そうじゃないかもしれないし、それはわからない。しかし結果的に、確定したのは、あるスイッチをOFFにすると、その生命が止まるということであり、スイッチOFFの許可を僕が出したということになる。心臓は処置をすれば一時的に動き出すが、やがて弱って止まりそうになる。その無駄な繰り返しを、さっきからずっと、一時間近く反復している、次第に脳波は弱くなっていて、おそらく意識はないのだが、しかし意識がないとはどういうことか。意識はなくても、主体というか、この私のあの感覚、クオリアは、まだあるのだろうか。それが、これから僕の判断によって停止されることになる。そのことを考えている。これから貴方の経験することは僕も、いつかこの先、同じようにその過程を経験するだろうか、そのとき誰かの承認によって、ああ僕は父親にもかつて、これをしたのだと、その瞬間になって思い出すだろうか。仕方がないことだが、いつか思い知るだろうか、それとも、やはり仕方がなかったのだと思うか。こういうことは考えても無駄なのだし、考える必要もないのだが、それにしても今日、この後どうなるというか、あちどのくらい猶予が、あと、どのくらい保ちそうなんですかね?いやあ、おそらくもう、間も無く、だと思います…。あ、そうなんだ、早いな、あっけないな。新横浜駅に着いて、新幹線のチケットを買う前に、再度電話、いま親戚の方かどなたかがお見えで、確認していただきました、つい先程ですけれども、残念ですが、お亡くなりになりまして。そうですか、ついさっきですか。はあ、そうです。ほんの少し前です。
なんだよ、早いな。まだ新幹線にも乗ってないよ、もう慌ててもしょうがない、のんびり行くか。そうしましょう、コンビニでビールと、あとスマホの充電用のアダプターも買った。どうせこのままだと、今日中にスマホの電池も死んでしまうだろうし。
新幹線のホームに立つ。残念ですが先ほど亡くなりましたと、妹、母、親戚のSに連絡する。晴れている。暖かい、どうやら春らしい。そうか、春になったのか、これはもはや、どう考えても、冬とは言えないよなと思う。父親が死んだその日に、ようやく冬が終わった。それにしても、あと一日がんばれば、春だったのに、暖かくなれば、あなたもそう言っていたではないか、あと一日がんばれば、もしかしたら、もしかするともう一度、自分の足で歩けたかもしれないな、残念だったじゃないか、惜しかったな。
18:00過ぎに鵜方着。志摩病院の薄暗く閑散とした救急外来待合室に集まっていた親戚の皆さん達に挨拶して、ご遺体にも対面した。おお、死んでいる。死んだ人の顔だった、いまの事態をわかっているのかわかっていないのかは読み取れないような、ぽけーっとしたような、不思議そうな表情で、仰向けになって眠っていた。
あっけないというか、まさか今日こういう事になるとは予想だにしなかった、この前、この場所に来て、色々と話して、帰ってきたのが15日でしょ、それから半月も経たずに、まさか死んでしまうとはなにごとだ、という感じである。まるでサーバーがダウンしたのと同じように死んでしまうのだから驚く。肺血栓塞栓を発症したのが直接の原因だというけど、それって今までの伏線とか導入部分とかこれまでの流れみたいなものに一切関係ないというか、関係あるのかもしれないが、ある流れの、物語的な束として響き合おうとする気が全くなくて、ただ急に出てきて私が犯人です、みたいな。そんなオチあるの?みたいな、そういう言い方でも多少ありふれてしまうくらい、ほんとうに実も蓋もないというか、死にゲーの始まって最初の死と同等にあっけないというか、それがOKなら誰でも次に同じように死ぬでしょみたいな、そういう空虚さがある。病院は、心ある医師は、対象に対して物語を語ってくれるという話をどこかで読んだ気がするけど、それはフィクションなのか。現実の病院はおそろしく冷たくて、営業時間内のサポート範囲内でしか業務してくれないし、申告しないと何の異常も調査してくれない。物語なんてとんでもない。過ぎた贅沢だ。もっとも安直な物語をおまかせで押し付けられても困るわけだが。
しかしほんとうに暗い空間、いつもこうなのか知らないが、ここはほんとうに、陰気な病院だな、救急搬送されて、瀕死の人と、死んだ人と、かけつけた身内ばかりで、あとはそういうことにまるで慣れてしまっている医師と看護師ばかり。ここが人生の終着駅というか墓標の並木道という感じだな。これぞまさに、日本の演歌が似合う風景に違いない。場末のスナックが裏手で営業しているに違いない。というか、こういう場所からすべての芸能が始まりそうだ、いきなり爆音で演歌が再生されそうな強烈な緊張感。
しばらくして、手馴れた感じの人達がきて、車に遺体を乗せて、葬儀場へ移動し、明日以降の段取りを親戚、葬儀場スタッフと話し合う。ファミレスのメニューみたいなカラー写真の色々な価格表を見ながら、モロに金の話、いえいえ、はい、そうです、一番簡素に、家族葬です、この場所でします、はい、花も飾りもこの写真のやつで上等です、的な、喪主だから、決定するのは僕だけれども、こんなん正直、誰かに決めてほしいわ、地元の人たちで勝手にやってよみたいな、無責任というか酷い話であるが事あるごとに親戚の顔をちらちらと見たい気分、いやそれはさすがにダメなので、建前的にはきちんと、はいはい、ええ、簡単でいいです、それでお願いします、とだけ言う。そのまま、喪主の威厳すなわち無能で愚鈍の態度をこれから数日間のあいだ維持することにした。
やがて皆さん退去されて、ご遺体と僕だけになる。明日朝まで、ここで僕は過ごす。この部屋、風呂もトイレも流し台もあるのでそれなりに快適。とりあえず風呂に入る。ビール買っておけば良かったなあと死ぬほど後悔するも、行きの電車で買ったワインがボトル半分だけ残っていたのでかろうじて助かる。座敷の真ん中にご遺体が寝ていて、添い寝みたいな布団の敷き方はしたくないので、ちょっと考えて、斜め後ろの方に、あまり無関係な人の風に、頭の方向は逆にして、布団を敷いて寝る。こういう寝方でいいのかわからないが、まあいいだろう。添い寝なんて、相手も嫌がるに違いない。
これを書いている今は、3月4日の夜だ。正直、書くのが面倒くさいというか、自分の書いている内容の単調さに気が滅入る。つまらねーなあと思いながらここまで来た。実際はある意味、もうちょっと、色々と面白かった。こまごまと、色々と、面白いことばかりだった。生きていて見ること感じることの面白さというものが、横溢していた。それはありふれたことばかりなのだが、それでもここに記されている単調さとは違う何かがある。きっと、この後もそうだ。時系列で出来事を書くのではなく、もう少し、何とかならないものかと思う。とはいえ、すごい隠し技があるわけでもないし、仕方がないと言えば仕方がない。無駄弾ばかり、ばら撒いているようなものだ。