僕と、遺体の父と、頭は反対向きの方向に、お互いの足だけが隣り合うようにずらして布団を敷いて眠った。かなり暖房を強めに設定していたのに、布団の隙間から風が入り込んでくるようだった。寒い夜だと思った。
朝、起きて身支度を整えおわって、まもなくやって来た親戚の叔母さんに、今日は寒いですねと言ったら、今日は春みたいな日だと返される。へ?と思って窓を見るとたしかに暖かそうな陽光が降り注いでいてる。今シーズンの冬は完全に終わったらしい。寒いのはこの部屋だけで、線香の煙がこもらないように天井の三箇所くらいに換気口が付いてて、そこから猛烈に換気しているから、それで足元の方から寒く感じるのだろうと思った。
昨日、遺影になる写真が何かありますかと問われて手元には無く、妹にメールで何か無いか聞いたが、やはり適当なものがなく、ネット上に父親の写真は一応ほんのわずかある事はあるのだがそれでも遺影にできそうなものは皆無で、仕方がなく遺品の財布に入っていた住民基本台帳カードの顔写真を引き伸ばすことにした。で、お昼前くらいに、その完成品が棺の前に設置された。しかしその写真の酷さには実にがっくりきた。まあ、元写真の質が悪いのを無理やり拡大して、なんとかそれ風にしてくれているので、よくぞここまでやってくれたねという話ではあるのだが、jpegの劣化感が露な、なにしろ酷い写真で、悪いけどこんなしょうもない写真をありがたがって位牌と一緒に持つとか、バカバカしくてやってられないなと思った。大小合わせて額縁に入っている(で、遺影代としてもっともらしい金額を請求される)ことを考えると、さらにイラついた。もちろん元画像の質に由来する事態ではあるのだが、この出来の悪さ、というかこういうことをするとこうなる、というありきたりかつ当たり前のことを、そのまま黙って受け入れざる得ない状況に、じつに気が滅入った。しかしまあ普通は、今日死んでそのまま自宅を離れた場所において当日中に遺影にできる写真を調達するのは誰であっても難しいのだから仕方が無いのだが、仕方が無いと言っても腹が立つので、ここに愚痴を記しておく。
同級生の方々や、ご近所や、(当方からは何も展開してないが、人づてに)報せを聞いて駆けつけて下さった方々が、ぽつぽつと訪れてくれて、ご挨拶したりお礼を言ったり話をしたりする。朝方に家を出た妻が昼過ぎに到着する。色々と持ってきてくれた荷物をほどき僕もようやく喪服に着替えた。少しして妹夫婦と姪の子も来る。親戚の皆さんもその子供達も集まって来た、狭い座敷に敷き詰めた座布団がそれなりに満席になる。
夕方から通夜はじまる。通夜の後も、東京から来て下さった親戚とかご近所さんとか、夜まで来客がちらほらと来られる。
そういえば、前日はじめて亡骸に対面した自分もそうだったのだが、なぜ人は故人の亡骸と対面すると、あたかもまだその遺体が生きているかのように話しかけるのか。いや、自分もそうしたのだから、なぜなのか強引にでも説明してみることは可能だ。おそらくそうして話しかけないと、その間の持たなさが辛いのだ。顔に掛かっている白い覆いを取って、その顔を見て、相手がまったく反応しない、表情が一切変わらない、それはよくわかっているが、それならこちらも同じような態度でと、そう思うわけにはいかない。周囲にいる人の手前そういう素振りがはばかられるという側面もあるかもしれない。いずれにせよ皆が、その遺体に対して話しかける。その呼び声というか言葉を聞いているのは、悲しみの感情を掻き立てる効果が強い。そこに生じる空しさというか、人がモノに話しかけていることの自然さが成立している不自然さというか、その瞬間だけ死者と生者の接点が生まれた奇跡というか、色々なイメージが生じてそれで泣きそうになるのかと思われる。けっこうありふれたイメージだが、泣けるというのはそういうことだ。そして、そうではない時間はまるで平常と変わらない気分で過ごす。バタバタしてたり、人と雑談してると、そのすぐ傍らに父親の遺体が横たわっていることを忘れてしまう瞬間も多々ある。そういう何も変わらない自分という事実そのものに、少しばかり呆然としているような感じもある。
夜になって、この後はさすがにもう来客もないだろうという時間まで来て、ようやく少しほっとした。妹夫婦が車で夜ご飯の買い出しに行ってくれた。寿司と刺身盛と殻付きの生牡蠣と吟醸酒とシャブリとビールを折畳机の上に並べる。グラスも取り皿もないので来客用のお茶用湯飲みを活用する。葬儀場のこんな場所で、喪主とその妹の二家族が葬儀場で晩餐会である。すでに納棺された父親に背を向けたまま「ああ、ようやく生きてる人間らしい時間だよ」と背後の死者に対して最大級のイヤミを発しつつ、すべてを飲み喰い尽した。