飽食


晴天、すでに初夏の兆し。図書館で本を返して、そのあと買い物して帰宅。録画されてたタモリ倶楽部を見たら京急線の特集だった。京急、きのう乗った、と子供のように妻に報告する。はいはいと返される。


それにしても、この世界には、満足に食べ物を与えられることなく、空腹をかかえている子供もたくさんいるというのに、それなのにお前は、そうやって食べ物を粗末にして、平然と残して、そんな事が許されると思っているのか、どんなに勿体無く、罰当たりな、身の程知らずなことをしているのかがわからないのか。


子供の頃にそう言われた。


空腹を耐えなければならない子供とは、テレビで見たことのある、砂漠の紛争地帯や難民キャンプの子供たち、あれらのことを言ってるのだろうと思った。


あるいは、父親は戦死した自分の父親を引き合いに出したりもした。戦争中のジャングルでは、何も食べるものがなくて、小動物でも昆虫でも植物でもなんでも食べたのだ、ヘビやカエルなんてご馳走だ、そのくらい大変な経験だったのだ、そんな話を何度も聞いた。


両親の生年は1941年と1944年だから、焼け跡世代的な体験は無いだろうし団塊世代からも少し外れるか。僕はたぶん団塊ジュニアの世代に入るが、我が両親は狭間の世代という感じか。


1930年後半くらいまでの所謂戦中派であればもろに飢餓・困窮の体験があっておかしくないのだろうし、一日の終わり、眠りが訪れるまでの間におそろしいほどの空腹感がおそってくるのをやり過ごしたりとか、翌朝の仕事場で支給される小さなパンを受け取るまでの時間に耐えたりとか、


母親は、子供がいいかげんに食事をしているのを見て、苛立たしげにそれを叱る。そんな事が許されると思っているのか、どんなに勿体無く、罰当たりな、身の程知らずなことをしているのかがわからないのか。


早く食べなさいよ、片付かないじゃないの、どうしてそんなに注意力散漫なのかしら、きちんと食べないと大きくなれないわよ、勉強も運動もできないわよ、お肉やお野菜を作ってくれるお肉屋さんや農家の人に、申し訳ないと思わないんですか?


地球上に、等しく物資が分配されていない、お前は理由もなく過剰に受け取っているのに、それを捨てて平然としていられるのか?テレビのニュースを見てないのか?


我々が災害から教えられた、物流停止のインパクト、上下水や電気ガスの停止、その方がイメージしやすくなった。飢餓もさることながら、清掃や入浴、衛生確保の困難、生活困難。


そういう事態を知っているくせに、お前は罰当たりな。