draft

書くことがない、と思う日はよくある。今日もそうだ。そういうときは、draft.txtを見る。ふだん書いていて、上手くいかなくて途中でやめたり、書き終わったけど、どうも自分で気に入らなくてアップロードする気にならないとか、そういう理由でボツにしたヤツをとりあえすそっちに保管しておくためのファイルだ。後で見返したときに、何かの役に立つかもしれないとか、ちょっと書き直せば使えるかもとか、そういうケチな根性で捨てずにとっておくのだが、でも後になってざっと読み返してみても、実際役に立ったとか再利用できたとか、そういうことは今まであまりない。やっぱりつまらないものは後になってもつまらないというか、そういうのはそのときなぜつまらないと思ったかまで、しっかりと思い出せるくらいにつまらないのだ。したがってそんなファイルはほとんど無用に近いものではあるのだが、それにしても書いて公開するまでにそんな選別をしているなら、お前が毎日書いてるものはどの日も一応自分なりの選別をくぐり抜けたそれなりに面白いと自己判断した文章ばかりなのか?と半笑いで言われてしまいそうな気もするのであらかじめそれに言い訳しておくと、公開したものがどれも面白いとはさすがに思ってなくて、いや僕はわりと幸福なタイプで自分で自分の書いたものを読むのはわりと好きなのだが、だから多くの他人も自分と同じように思うだろうとは全く思ってなくて、むしろ何でもないというかなんか今一歩というか軽くスベッているものがほとんどとか、そんな程度だとは思うが、それでも書いてる本人がこれでアップロードしていいやと思う基準、いやさすがにこれはやめておきたいと思う基準が何かといえば、それは面白い/つまらないということとは別の、なんとなくこれなら自分の責任ってことでいいかなと思えるか否か、ということになるだろうか。たとえ面白くなくても、自分の責任としてこの面白くなさを受け入れることにやぶさかではありません、と思える面白くなさであればアップロードする、という感じだ。もちろん面白いものばかりアップロードしたいけど、それはたぶん無理だし、かつ毎日のことで時間も限られているので、そこまでがんばれないわけだ。ブログの文章というのは、凄い人からそうでもない人まで色々あるけど、まあ素人らしさというのは、それを嫌がる人は多いだろうけど、僕はわりと好きだし、日々書いて、でもそこまでがんばれないし、そこまでする気もないし、といった感じというのも、また一つの面白味ではないかと思っている。