関川夏生「白樺たちの大正」を読んでいるのだが、本書によれば明治15年以前の生まれと以降の生まれでは、明治時代のいわゆる「明治の精神」に対する感覚が、大きく違うのだと。すなわちそれは漱石「こころ」で「明治の精神」によって自殺する先生を理解する者と理解しない者の差であり、その元にある明治天皇防御にともなう乃木希典の殉死に対する反応の差でもあると。乃木希典の殉死に大きなショックを受けるのはたとえば森鴎外や夏目漱石であり、そこにあるのは「我々が通り抜けたあの時代への思い」だろうが、明治15年以前以降に生まれた世代、とりわけ「白樺派」こそは、そんな「精神」からすでに自由であって、「白樺派」発祥の学習院大学という場がその土壌を培ったのだという。もちろん晩年の乃木希典は学習院の院長だったわけだが、学生であった武者小路実篤や志賀直哉は、少なくとも院長に対してほぼ何の思い入れもない。というよりも彼らはほとんど現代のリベラルとほぼ変わらないメンタリティであったと想像して良いのかもしれない。現在思い浮かべられるような左派リベラルの長所も短所もすでに、まるで絵に描いたようにわかりやすくあわせ持っていたような感じがする。とはいえその後武者小路は自給自足の芸術コミューン「新しき村」を本気で始めるわけだから、やはり今の感覚というよりももうちょっと昔の安保時代の学生に近いのかもしれないが。あと「白樺派」は、なにしろ当時の学習院に入学できるくらいには、大変な由緒ある名家のご子息ばかりだったが、太宰治みたいにそのことへの複雑な屈託とかはない。(白樺と関係ないが、坂口安吾もそうだった。あと武者小路と同級生で歴史研究学者となる大久保利謙(大久保利通の孫)など、むしろ戦後の華族制度廃止に『「解放された」という気分を味わいましたね』…とのことらしい。(ここまで究極の「良家」の子孫であれば、それでも不思議じゃないか。)