ドレミ

「流れ」は、はじまりからおわりまでに順序が決まっている。これを編集することはできない。たとえば"ドレミ"という流れは"ドレミ"という順序でなければ「あの感じ」ではない。

さらに"ドレミ"の"ド"が担ってる感じと、"ミ"が担ってる感じは、中間にある"レ"の影響を受けて成り立っている。不思議なのは、順序的に"ミ"が"レ"の影響を受けるのはわかるが、"ド"がなぜ"レ"の影響を受けるのか。"ド"だけならそれ単体というだけだが、"ドレミ"という流れにおいては、"ド"は時間逆行的に"レ"の影響を受けている。受けるだろうという予感とか、受けるはずの予約でもなくて、まだはじまってないはずのものから、すでに先行されている。

いや、そうではないのだ。"ドレミ"という流れを、このように分割して検討するのではない。"ドレミ"を"ド"と"レ"と"ミ"に分けてイメージした時点で"ドレミ"という流れとは別の話になっている。別のものをそれだと思うから、時間の逆行みたいな矛盾に突き当たってしまう。というよりも思考というものが、時間分割的な方法に慣れ過ぎているし、それだなければ思考自体が動かない、別の動かし方に慣れていない。だから、そこに慣れなければいけない。