ビハインド・ザ・マスク

自分にとって、日々の生活でもっとも多く顔を合わせる人物は妻だが、その次にはオフィス隣席の上司だろう。平日日中はずっと隣同士なわけだから、のべ時間で計算したら、ひょっとすると妻よりも長時間、顔を合わせていることになるのかもしれない。ただし妻と自分はふだん、家の中でマスクを外した状態で過ごすのに対して、会社の上司とはマスクしたままの顔を突き合わせている、その違いはある。

上司とのやり取りは、それが会社の仕事であるからには、色々と様々に、簡単なものからややこしい相談まで、種々多岐にわたって、それ自体が仕事であり、課せられた役割であり、僕はその隣人とはすでに十年以上のお付き合いがあるのだけど、しかしマスク常用の時代となって、お互いマスクした顔を突き合わせるようになってからすでに二年か三年が過ぎたわけだが、先日たまたま相手が、何か飲み物でも口にしていたのか、マスクを外したままの顔でモニターに向かっているその顔を、ふと横から見たとき、まったく予期せぬある不思議な衝撃をおぼえた。

うわー、、この人、こんな顔だったっけ??と慄いた。何年か前までは、ふつうにこの顔を人前に晒していて、僕もそれを当然と思っていたのか…などと言ったら、その言い方は相手に対してあまりにも失礼だけど、他意なく強い違和感をもった。まるで、裸を見てしまったような、隠すべき部位が図らずも露になっているかのような、こちらが思わず目を背けなければいけないような、そんな感じがした。きっと、よく知ってる人だからこそそう思うのだ。そのへんの人がマスクを外していても(多少知ってる人であっても)そんな風には思わないだろうが、これまでの長い間の記憶が残っているからこそ、そう思うのだ。

ちなみに、ここ数年の間に知り合った人物ならば、基本的にマスク着用時の顔しか知らなくてふつうだ。だからマスク無しの顔をこれまで一度も見たことが無くて当然なのだが、何かの拍子に首から下げている社員証に印刷されたその人の顔写真をたまたま見てしまって、あ、こういう顔なのか…と思うことはある。

しかし今後おそらくは、そういうのも失礼に該当するような行為になるのだろう。ウィルス対策とはもはや無縁に、人が顔の下半分を隠す権利、というか風習、習慣、美徳、マナー、配慮、嗜み・・・のような何かが、すでに人々のあいだに育ちつつある気もする。