新リミックスの、ビートルズ「リボルバー - スペシャル・エディション」は、とりあえず左右にくっきりと分かれていたステレオ配置の各楽器が、より自然な配置でミックスされ直しているだけでもありがたい。おかげで大変聴きやすくなった。ビートルズだから、今でもこういうことが可能になる。願わくばほかにも、同様な試みをしていただきたい音楽はたくさんある。
(思いつきの想像だけど、もしかすると何十年後かには、そういった「クラシック音楽」がトラックごとにリリースされ、あくまでも作り手の意図は尊重しつつも、それを購入したリスナーが自身の再生環境や意図に合わせて、その都度トラックダウンして再生するような事態も、ありうるだろうか…。)
自分がはじめて「衝撃」を受けたビートルズのアルバムは「リボルバー」だった。中学生のときだ。
曲単体を聴いているのだがそれだけではなく、初めから最後まで聴き続けることで、その流れ全体で何かが表現されているという、コンセプトアルバムと呼ばれるレコードの特長みたいなものを、そこに一挙に感じ取ったのだと思う。
ちなみに世間でコンセプトアルバムとされている作品において、有名作からそうでもないものまで、おしなべてそのコンセプト自体が面白いものは、ほぼ皆無に近いのではないだろうか。
結局は曲そのものの力であり、それらの連続というか連携によって、意図を越えた何かを醸し出すことのできる、それでしかアルバムという形式の面白さは表出しないのではないか。はじめに「この音楽にはコンセプトがありますよ」と言われて、それを聴きつつ言われたことの読解をこころみるのは退屈だ。
ビートルズのsgtペッパーもアビーロードもリボルバーも、何らかのメッセージを隠し持っているわけではない。しかしその楽曲の流れに触れるうちに、結果的に何らかのメッセージを受け取らざるをえないような気にさせてしまうところがすごいのだ。それは聴き手が個々に自分の過去の記憶を勝手に呼びこされてしまう、自分自身の記憶の層に、曲が働きかけてくるからであろう。
それにしても「リボルバー」リリースは1966年。驚くべきことだ。おそらくジミ・ヘンドリックスさえ、このアルバムを経験すること無しには、その後自らの音楽をあのようには築けなかったのではないかと思う。あるいはツェッペリンなども思い浮かべてしまうのだが、このアルバムは何よりもその後のミュージシャンたちに、音楽的にもっと大胆になって良いのだという、自らの力を信じる自信の力と野心を維持する余地を与えたのではないか、自由の領域が広がったことを、きわめて具体的に示したのではないかと思わされる。