蝉の死骸を見ると、機械の部品あるいは残骸を思い起こす。あるいは紙細工か何らかの仕事を思い起こす。いずれにせよ非・生物を感じる。とはいえ何らかの仕組みではあり、何らかの持続性ではあるのだから、それを生物だと思わないわけではないが、それが生物であることの違和感をくりかえし確かめている。

あるいは空中戦で撃墜され不時着して乗り捨てられた飛行機を思い起こす。役目の終わり、中断を思い起こす。

蝉は、もちろん何も考えていない。何の意識もない。ただ「いつもとは違う特別な時間」の自覚だけがある。その間を力を尽くして活動し、やがて落ちて、いつもの時間に戻る。きっと彼らにとっては、蛹から抜け出て成虫となるただ一度の特別な夏よりも、それ以外の時間こそが彼らにとっての生の記憶だ。