双生について

三宅誰男「双生」について。思い出しながら書き出してみる。

出征時に偶然出会う旧友との場面。ここで「兄」が登場するのかと、まずはじめに思うが、そうではない。しかし読む者がここで「兄」を思い起こすことはたしかだ。しかも「彼」と旧友が並ぶと「瓜ふたつ」に見えるのだから。ただ「異なる人種の顔だちを見馴れていないまなざしにとっては…」という一文で、わからなくなった。何度読んでも、意味が取れずに困ったのだが、その後の展開によって、どうも「彼」の顔はなぜか突然外国人顔になるらしい、ということがわかってくる。

この旧友が後で物語にとって重要な人物になってくるのではないか…と予想してたら、そういうわけでもなかった、というか、そういうことが何度も起こるのがこの小説だ。

外国人顔…となれば、「彼」と「異彩の大隊長」との関係の線が浮かび上がってくる。「異彩の大隊長」はどう考えても「彼」を特別視しているし「彼」だけを付き添わせて出掛けたりもする。

その「異彩の大隊長」はスパイではないかと周囲から疑われてもいて、捕縛されている敵国兵パイロットに対する態度も、どこか妙なところがある。

隠れ里という土地は妙なところで、まるで「彼」の郷里である古都を裏返した、あるいは別フィルタを通して見たような場所だ。歴史や伝統のかわりに独自に発展した文化…というよりも享楽の作法とでも言いたいようなものが共同体内に行き渡っていて、もしこの小説の舞台モデルが第二次大戦下の日本であるとするならば、隠れ里の人々は戦時下の「銃後の国民」のイメージからはかけはなれたところがある。食糧難からも逃れられていて、酒にもこと欠かないようで、あろうことか終戦時の放送を聴き「戦争に勝った」と思い込み、その夜のうちに祝宴を上げたりもする(ここで一瞬、裏返った近代史フィクションがいきなりはじまってしまうのか…と軽く狼狽する)。

捕縛されたパイロットは脱走兵だった。それを探しに隠れ里へやってくる脱走兵の兄と付き添いの日系人。この兄弟の関係に大隊長が介入する(身代わりになる/重ね合わされる)。また付き添いの日系人は、その人物もまた「彼」と生き別れた兄を思い起こさせる。このあたりから、本作の各登場人物たちの「背後」というか「立場」を疑いたくなる気配、もしかしてあれはあの人では…と思わせる機微のあらわれが、めまぐるしくなってくる。

その後「彼」の、疑似家族への同化が試みられ、子供を救うために生贄の儀式まで敢行するものの、「本当の夫」が帰還することで家族化はあっさり失敗する。「彼」は、帰還する「本当の夫」の顔を見ないまま、隠れ里を去ってしまう、ほんとうにそれで良いのか?その男の正体を確認しなくても良いのか?…という思いを、読者に感じさせながら。

郷里に戻った彼を迎えるのは、当然のごとくそこにいる妻と誰の子かわからない子供だ。こうなったことの責任は、彼にもあるのではないかとさえ思いたくなる。あるいは、それがなるべくしてなった事態ではないかとも思う。もっと言えば、結局その子はほんとうに「彼」の子供なのでは?

旧友は戦死したらしいことが、戦没者慰霊の夜祭の夜にわかる。「彼」と旧友は、偶然出征先を取り替えられてしまうのだから、本来なら、異彩の大隊長の部隊に所属するのは旧友の方だったし、戦死するのは「彼」だったかもしれない。

出征時フランチスカに見つめられた旧友。最初の僕の予想では、「彼」が帰還すると、先に帰還していた旧友が、フランチスカの夫になっているのではないか、などと思っていた。フランチスカの抱く子は、旧友が生ませた子ではないかとも。

いや、そもそも彼らが出征先を入れ替えてしまったときから、「彼」は旧友だった、との考え方も可能か。フランチスカの子は「彼」の子で、旧友に似ているのだ。

それならば「彼」こそが、あの夜に消えた最初から「兄」だったのかもしれないが。兄の生を「彼」が語っているのかもしれないが(そこまでいうと解釈が過ぎるが)。